ここ数日ネットをにぎわしているボストン美術館の”Kimono Wedesday”(水曜日は着物の日)について考えてみます。ボストン美術館では今、印象派の展覧会が行われていて、これは、モネの絵画「ラ・ジャポネーズ」の前で打ち掛けのレプリカを着て写真を撮りましょうというイベントです。これに対してあるアジア系のアメリカ人(日系アメリカ人ではなさそう)から「帝国主義的」で「オリエンタリズム」で「人種差別的」あるということでイベントをやめるように抗議が行なわれました。抗議を受け、美術館はこのイベントを中止し、打ち掛けのレプリカを展示するだけという対応を行ないました。
ツイッター上で抗議を呼びかけた人の主張や「典型的なアジア系のイメージを打ち壊そう」と呼びかけたfacebookページ、新聞記事などをあれこれ読んでなにが起こっているかを見ていきたいと思います。
まず、facebookでのやりとり。抗議する人、それに反対する人の間でいくつか誤解が生じているのが分かりました。抗議者に対して日系アメリカ人はもとより、日本に住んでいるアメリカ人などが「着物を着ることなんてレイシズムでもなんでもないよ。着物は美しいし、日本の文化は素晴らしい。ちなみに僕の妻は日本人だ」云々…と反論しています。しかし、抗議している人たちは「絵のモチーフをまねて着物を着るな」といっているわけではなく、19世紀のヨーロッパ世界の帝国主義がいかに東洋人を下に見てきたか、この絵はそれを表しているといいたいらしいのです。興味本位に、ミステリアスな東洋というイメージしか持たず、我々西洋人とそれ以外、という差別的なラベル付けは現代のアメリカでも続いているではないか、と言っています。だから安易に文脈を理解せずに着物を着てポーズを取るのは「帝国主義的」で「人種差別」と主張しています。
もう一点、さらにややこしいことになっているのが、初めに日本で紹介された記事が、「民族蔑視」で「帝国主義」なのが抗議の理由だと端折られて書かれていることです。これに対して「帝国主義」を日本がアジアに対して行なったものと思っている人がいて、ツイッター上ではいまさらなにを言う、とか、言いがかりだとか、ここでもまた違った文脈でくすぶっています。
私が読んだ中ではThe Boston Globeの記事が全体の状況をうまく説明していました。この記事では「ラ・ジャポネーズ」を美術史的な観点からも書いています。現代の活動家や研究者の中でも、当時のジャポニズムは非西洋文化を単にミステリアスで理解不能でエキゾチックで、それゆえ自分たちより劣った人ととらえていたと考える人がいることを指摘していました。
残念ながら10日の時点でfacebookのページは見られなくなっており、その後の展開を見ることができませんでした。
一連の騒ぎを追って、いささかうんざり、というのが私の感想です。まずは「反○○」活動の乱暴さ。始めから怒っちゃってるからもう後に引けない。怒っている人を諭すかたちをとりながら、そこに燃料を投下する人がでてくる。美術館側も意図があってインタラクティブな展示にしたわけだし、「一部の人を不快にしたようなのでじゃあ止めます」って言って問題が解決したのかは分かりません。しかし、展示に悪意や他意がなければいいのか、正義に基づく主張は全てが許されるのか、また、日本人はこの議論の当事者になるのか、疑問が残る案件です。
MFA recasts kimono day after complaints of stereotyping | The Boston Globe July 07. 2015