気になる本を読んでみました。ここ数ヶ月、ツイッターでよく見かけた『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗著)です。美学の研究者が、見えない人がどのように空間を認識し世界を構築しているかを紹介しています。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)という、視覚障害者のアテンドに導かれ、真っ暗闇の空間を体験するというイベントに参加したことがあります。案内してくれたアテンドの心強さに、見えないのに、なんで見えているみたいにふるまえるんだろう、と不思議に思いました。それと同時に、見えない人は、見える私が体験したことのない感覚で生きているのかもしれない、それはなんだろう、という疑問がずっと頭にひっかかっていました。
そんな疑問にひとつずつ答えてくれたのがこの本でした。先天的に見えない人、全盲の人、中途失明の人など何人もの見えない人(見えないといってもさまざまなのでこの本では「見えない人」という表現になっています)にインタビューして、見えない世界とはどういうものかを論じています。
見えない人が街を把握するやり方について書かれている部分があるのですが、そもそも見える人と見えない人では空間の捉え方が違うということが分かりました。見える人はあそこにスーパーがあって、ここには本屋があって、という具体的な視覚情報に頼っていますが、見えない人は抽象的にとらえた空間に、駅や信号といったランドマークを置き、その配置や関係で街を理解しているそうです。見える人が共有している普遍的な街の風景の中で、見えない人は視覚以外の感覚で補完して生活しているのだと思ってたので、見える人と違うレイヤーの空間があったことが衝撃でした。DIDのあとに探しあぐねていた「私が持っていない感覚」は、把握している空間の違いから生まれたものだったのかもしれません。そのあとも空間把握について書かれているのですが、見えない人は見える人に比べて、より空間を抽象的に、そのままのかたちで理解しているそうです。見える人は自分がいる場所から見えるものに左右されますが、見えない人はより俯瞰的に空間を捉えているので死角がない、とも書いてありました。
さらに面白かったのが、見える人と見えない人とのレイヤーの違いは、思考の方法にもみられるということです。それまで斜視だった人が立体視ができるようになった後、空間にある物と物の位置関係がぱっと見て分かるようになっただけでなく、論文を読む時にも全体を一気に把握できるようになったそうです。情報処理の仕方が変わり、部分を積み重ねて理解するというプロセスが、全体を把握して細部を検討するという思考方法に変化したということです。
もうひとつ紹介したいエピソードは、全盲の子どもが作った壷のような粘土の作品です。見た目に壷のようなものであれば、表面に模様をつけるのが普通だと思ってしまいますが、その子は内側に模様をつけ始めたそうです。見えない人は視覚に縛られないゆえに表面、裏面、外側、内側といった、空間を構成する位置関係から自由になるのだそうです。こうなると、普遍的と信じている空間そのものがスライムのようにぐんにゃりと変わっていく感覚になります。
ここでは書ききれませんが、ブラインドサッカーや美術館のソーシャルビューについても紹介していて、見える人と見えない人のコミュニケーションの取り方についても分かりやすい例が多く取り上げられています。文体も温かみがあり著者のまなざしが感じられるようでした。見えない人との関わりで培ったゆたかなまなざしとも言える気がします。
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