2009年9月21日月曜日

神話と遊ぶ

 

 一昨日、東京オペラシティギャラリーで「鴻池朋子展 インタートラベラー神話と遊ぶ人」を観ました。2日経ってもまだじわじわ「効いてくる」展覧会でした。

 地球の中心に向かって行く、という設定の展示になっており、いくつかに区切られたスペースの入り口にはその場所の「深度」が表示されています。地球の成り立ち?世界の成り立ち?とても壮大なイメージが感じられます。物語に沿っている訳ではありませんが、個人の原初的な想像力が呼び起こされるような体験でした。小さい頃、宇宙の果ての先はどうなっているのか、とか、産まれる前に私の意識はどこにあったのか、などと考えて吸い込まれそうになった、怖いようなドキドキするような記憶が思い出されるようでした。

 展示室を出たところに、「赤ん坊」という作品を展示するまでの映像が見られます。(ウェブサイトでも観られるようです。)これもまた、何かを作り出す時に現れる、うねりような力強さがあり目が離せませんでした。




2009年8月20日木曜日

ロンドンの夏休み



 夏の休暇、ロンドンへ行ってきました。何も計画せずに取りあえずロンドンへ、と向かった夏休みでしたが、唯一行きたいと思っていたのが、Roundhouseという劇場に設置された、ミュージシャンのデイヴィド・バーンによる"Playing the building"lというインスタレーションでした。鍵盤を叩くと、オルガンの背面から劇場内に張り巡らされたチューブを伝って、金属を叩くようなノッカーの音、フルートのような音、エンジン音のような振動音が奏でられる作品です。無機質ながら不思議な静謐感を残す印象的な作品でした。鍵盤を叩く人、音がなる方向を確かめようとする人、その場に集った人たちの一体感のある空間に圧倒される思いでした。
 
 しかし、私が最も心を奪われたのは、会場を出てすぐに聞こえた様々な音でした。車のエンジン音、クラクションの音、どこかで工事をしている音、Plyaing the building を体験した後、どれもが意味のある音楽のように聞こえたのです。日常に溢れる音さえも、何か特別な響きに聞こえるような体験をさせれくれた、この作品の包容力に感じ入ったひとときでした。


2009年7月20日月曜日

『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』

 一ヶ月程前、この本を読みました。Chim↑Pomというアーティスト集団が飛行機雲で広島の空に「ピカッ」という文字を描き、市民の不快感を呼び、被爆者団体を前に謝罪会見を行った、という顛末を書いたものです。この本に寄稿している評論家やアーティストの文章もやや興奮気味で的外れな印象がありましたし、大慌てで世に出しました、という感が否めない本ではありました。

 とはいえ、この本により「事件」の一連を垣間みることができました。しかしながら一層どうにもこうにも煮え切らない思いが私の中に広がったのも確かです。この騒動そのものに対してというより、それぞれの立場の反応が不思議、と思ったのが正直なところです。どうやら彼らの個展を開催する予定だった美術館の担当学芸員も「やるならゲリラ的にするしかない」というスタンスであり、大騒ぎになって初めてアーティストたちも「いや、あれは平和への願いを込めていて云々。」といった釈明をしたらしいです。
 
 私自身は「ピカッ」とさせることに対してはそれほど大きな驚きも感想もなかったのですが、ヒロシマという表象のあまりの大きさに、茫漠とした戸惑いを感じました。というのも、この「ピカッ」の直後に中国のアーティスト蔡國強氏が、原爆ドームの上に黒い花火を打ち上げる、というパフォーマンス(もちろん世界の平和を願って、の意味を込め)を行っているのです。
 
 この経緯を読んで、蔡國強氏は受け入れられ、彼らは受け入れられなかったのは、何を表現するかという軸を他人を説得できるレベルにまで強固にできなかったChim↑Pomと学芸員の未熟さが原因だったんだろうな、と思いました。日本、特に広島や長崎における被爆体験の持つ力の大きさと特殊性、そしてそこに無邪気にも足を踏み入れてしまった若いアーティストによって、表現することと受け入れられること、について再考させられる機会でもありました。


「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」
編:Chim↑Pom・阿部謙一
出版社:河出書房新社


2009年5月7日木曜日

メイプルソープとコレクター

 渋谷の小さな映画館で『メイプルソープとコレクター』という映画を観ました。よく下調べもせずに、メイプルソープについてのドキュメンタリーだと思って行ったのですが、公私ともに写真家メープルソープのパートナーであったコレクターについての映画でした。

 彼の名はサム・ワグスタッフ。アメリカの上流階級に生まれ、現代アートの学芸員として成功し、写真のコレクターとしてひとつの価値観を作り上げた人物です。個人のドキュメンタリー映画としてはやや茫洋としており、あまりおすすめしませんが、とかくセンセーショナルな写真家として人々の記憶に残るメープルソープの傍らで、ワグスタッフが大きな影響を与えていた(作品へも、そして金銭的にも)ことを初めて知ったのは驚きでした。彼やメープルソープを知る人々が次々にスクリーンに現れるのですが「ロバートはサムのお金にしか興味がなかったのよ。」などと言う人もおり、華やかなアート界の住人たちの寒々しい一面もまた印象的でした。晩年は写真のみならず銀製品の蒐集も行っていたそうですが、彼は全てを死の直前、ゲティ財団に売却しました。それらはゲティミュージアムでも公開されているようです。いつか、彼の美意識を追体験しに訪れてみたいと思っています。

『メープルソープとコレクター』公式サイト


2009年5月6日水曜日

ツェ・スーメイ展

 水戸芸術館まで、「ツェ・スーメイ」展を観に行きました。山に対峙してチェロを弾いている後ろ姿を映した展覧会のポスターを観た時から、これはぜひとも観に行かねば!と思った展覧会です。
 ツェ・スーメイはイギリス人ピアニストの母と、中国人バイオリニストの間に生まれたルクセンブルグ出身のアーティストです。職場の人たちと展覧会のチラシに載っていた作家自身の写真を見て「彼女はこの世のものとは思えないような、妖精のような雰囲気だね。」と話したのですが、まさに作品も神話に出てくる精霊のような趣のあるものでした。身の回りの細々した事柄を顕微鏡で見るように、一つひとつの事象をミクロな世界に突き詰めて、物語を紡ぐような、個人的でありつつ普遍的なものを感じました。私が気に入った作品は、葉が落ちた木々に寄生している宿り木を音符に見立てた映像作品『ヤドリギ楽譜』と、猫の肖像写真と、猫が鳴らす喉の音を録音した『不眠症の治療』(このタイトルにニヤリとしてしまいました。)です。

 展覧会を見ながら、何故か別の現代美術作家、マシュー・バーニーのことを思い出しました。作風や雰囲気は全く違うのですが、個人の想像力によって生み出された壮大な世界を、皆の目に見える形にする、という点で、共通するものを感じました。ツェ・スーメイが精霊だとすれば、マシュー・バーニーは半身半獣のケンタウルスのような、同じ世界に生きる想像上のいきものとでも言えるかもしれません。

 ゴールデンウィークの終わりにとても心満たされる展覧会を見た思いがしました。

水戸芸術館「ツェ・スーメイ」展ウェブサイト


2009年4月12日日曜日

台湾現代芸術事情

 大学院時代の友人を訪ねて、台北に行ってきました。彼女に案内してもらい、台北市内の現代アートスポットに行ってきましたのでご紹介します。

 まずはMOCA Taipei。ここは日本の植民地時代に小学校だった建物で、その後市役所として使われ、現代美術館へと改装された場所です。現在行われている企画展は「SPECTACLE-TO EACH HIS OWN」(〜4/12)。今活躍する台湾、中国の若いアーティストの作品が集められています。内容に入る前に、チケットについて少し。厚紙で作ってあり、切り抜いて紙飛行機が作れるようになっています。この美術館では毎回このようなお土産にもって帰れるチケットを作っているそうです。展覧会の構成は映像作品が多く、後半に絵画や立体の作品が集まっていました。小さい部屋に分かれた一階部分にそれぞれ映像作品を展示しており、建物の特徴に合わせたところもあるように感じました
       展覧会チケット          コンパクトサイズの図録

 そして夕食後連れて行ってもらったのが、IT ParkとVT Artsalon。IT Parkは、80年代終わりにアーティスト達がお金を出し合って場所を借り、自分たちの展示スペースを作ったのが始まりだそうです。アーティストの情報交換の場としても機能してきました。台北市文化局や国家芸術文化基金の支援と、写真スタジオの貸し出しなどで運営しているそうです。IT Parkの数件先の地下にあるVT Artsalonは展示スペースとクラブが併設されたような場所で、IT Parkよりちょっと若い世代の空間です。友人によると、タバコ会社やアルコール飲料会社と組んでプロモーションの場としても機能しているようです。両方ともアート関係者が集い、人脈を広げたり情報を交換したりするサロンのような趣がありました。

 と、盛りだくさんの台北現代美術探訪でしたが、熱い台湾のアートパワーを体感した半日でした。台北に行かれる機会があれば皆さまもぜひ!

Special thanks to Chi-Ping!



2009年4月5日日曜日

いいデザイン、正しいデザイン

 東京都美術館の「生活と芸術ーアーツ&クラフツ展」を見に行きました。ちょうど桜が満開で、上野は今まで見たことがない程の人出でした。さて、この展覧会はイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館との共同企画で、イギリス、ヨーロッパ、日本という3つの括りでアーツ&クラフツ運動について展示しています。私が初めてアーツ&クラフツ運動に触れたのは、2000年、今はもうない伊勢丹美術館で「マッキントッシュとグラスゴー・スタイル」という展覧会においてでした。直線的なデザインに草花や人間など有機的な形が組合わさった作品は、私の印象に深く残りました。今回もアーツ&クラフツ運動の父と呼ばれるウィリアム・モリスを始め、マッキントッシュはもちろん、モダンな銀器をデザインしたドレッサーの作品も展示されていました。さらに、この運動がヨーロッパへ広がり、最後のコーナーでは柳宗悦が率いた民藝運動を日本のアーツ&クラフツと捉えた展示構成となっていました。場所を越えて一つの輪がつながったような、とてもよい構成の展覧会でした。

 帰り道、お花見客の合間を縫って戻る途中、別の美術館に「アーツ&クラフツ展」の別のチラシがおかれていました。「Have you ever thought of correct design as well as good design? いいデザインだけでなく、正しいデザインについて考えてみたことがあるだろうか」という文字が並び、裏にはプロダクトデザイナーの深澤直人氏のことばが記されていました。正しいデザイン、私は考えたことがありませんでした。いいデザインについては好き嫌いはあるにしてもはっきりと言えますが、「これは正しいデザインだね。」というのは何だか不思議な響きです。しかし、これがアーツ&クラフツ運動の本質を表すものなのだなあ、ということがじんわり感じられました。深澤氏の文章によれば「社会の不正義を正す万能薬として、正直で充実した生活を目指す哲学の基礎となる」アーツとクラフツのあり方が19世紀末のイギリスで始まり、形や素材が変わりながらもその哲学が共有されてきたことに、ぐっと深いものを感じました。

「アーツ&クラフツ展」ウェブサイト