2011年1月31日月曜日

ふるまいから見る建築と都市

 少し前のことになりますが、東京アートポイント計画のレクチャーシリーズを聞きに行きましたので、ご報告します。「『壁』の無い東京へ」というタイトルで、建築家の塚本由晴氏と社会科学者の安冨歩氏がレクチャーを行ったものです。もう10年以上前に塚本氏の建築ユニット、アトリエ・ワンの作品を雑誌で見て以来、建物だけでなくそれを取り巻く街のありようを読み解く彼らの視点にとても共鳴するものを感じて追いかけ続けていたので、今回初めてライブでお話を聞くのを楽しみにしていました。

 今回は「東京」の可能性を探る、というテーマでお話しされました。まず彼が話したのは、東京について考えるためには、住宅のあり方を考える必要がある、ということです。東京を上から見ると、大通り沿いに高いビルが立ち並んでいるけれど、一歩そこから抜けると道も狭く個建てが多く、車もあまり通らず人が道の真ん中を歩いているようなムラ的な風景が見える。彼はこのように今の東京について語りました。そして、これが戦後60年経て得た東京という都市のモデルであり、都市の「知性」というものではないか、と分析します。また、日本の住宅建築の平均寿命は26年(素材の耐久強度という意味ではなく、建て替えられる周期)で、都市の中の粒=建物が26年ごとに更新されるため、複数の世代が一度に目に入っているというのが東京の風景をバラバラに見えるものにしている、とも言っていました。何かとヨーロッパの整然とした町並みと比べて、統一感のないごちゃごちゃした都市だ、と苦々しく語られる東京をこのように読み解くポジティブな視点が、非常にクールです。

 ここから、彼の提唱する「ふるまい学(Behaviourology?)」について話が移ります。彼は、都市を理解するとき、都市に住む人間の生理、社会、コミュニティーといった人間側の「ふるまい」と、部屋に差し込む光、窓の結露といった建物の「ふるまい」を建築的観点から見ることが、Behaviourology的に都市を理解する方法、と言っています。ここでアトリエ・ワンが、こういった視点を建築に落とし込んだ「ポニーの家」の例を紹介します。限られた土地と資金の中、「庭にポニーを飼って眺められる家が欲しい」という施主の思いを実現するために、ポニー主体で人間が不自由を強いられる、という家を作った例です。ポニーを家の中から眺められるように、一階の窓は雨戸だけで日中は開け放すとという形にし、気密性のある部屋は2階のみにました。外と家の中に一体感が生まれる代わりに、夕方になると虫が入ってきます。そこで住人の生活は夕方には食事を終え、6時には就寝、そして朝は4時起きで庭の草むしりをする、というパターンに変わり、その不自由を受け入れ楽しんで暮らすようになったそうです。塚本氏は「人間だけのことを考えるから人間だけのものになっていまう、建築を人間主体に考えないとどうなるか。例えば、生産性を落とすような要素を排除してきたのが20世紀のあり方だとすると、それをもう一度自分たちの中に入れ込んでいくのが多様性の中に生きる楽しさ。」と言っていました。

 ほかにも安冨氏との対談を含めて様々な刺激的な発言があったのですが、今日はここまでにします。修論で美術館空間を人はどう体験するか、について書いた時、実は塚本氏の著作も参考にしたので、彼の言う「ふるまい」という言葉は、私にとてもしっくりくる言葉でした。建築や都市は堅牢で確固とした存在ではなく、常に揺らいだり、小さな変容を繰り返して私たちのものの見方、感じ方、生活に影響を与えていると言えるのかもしれません。そう考えると、私は人の生活がとても豊かでダイナミックなものに感じられ、解放されたような自由な思いになるのです。



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