2012年5月11日金曜日

さらばパワーポイント、ダンスで語れサイエンス

 

 「ダンスVSパワーポイント」ですと?興味を引かれるタイトルです。今日は久しぶりにTEDからの話題です。複雑な問題をダンスで表現する試みを行なっている科学ライター、John Bohannon氏がゲストです。Bohannon氏が進める話の内容に合わせて、ダンサー達が踊ります。(ある子供番組で、ダンサーの森山開次が臓器をイメージして踊っていたのを思い出しました・・・。これとはちょっと違います。)彼は、ある物理学者から複雑な理論を聞いた時に聞けば聞く程混乱したという経験を話しました。難しい話を平易に語るのは簡単ではありません。そこで彼はダンスでサイエンスの問題を語ることを思いつきました。TEDで紹介されたダンスの一つに、絶対零度と超流動を説明するものがありました。彼の説明に合わせて、ダンサーが動いたり、止まったり、流れるような動きをします。言葉と動きで説明を追うと、文字で読むのと違って立体的に実感するように思えました。実際に理解できたかはさておき。

 ここで彼はダンスVSパワーポイントについて説明します。科学でも政治でも何かをプレゼンする時、パワーポイントが使われ過ぎてどれだけ経済的な損失をあたえているかを指摘します。パワーポイント資料の1/4が時間の無駄という調査もあるそうです。私自身も、仕事でパワーポイントの資料を作っていて終電を逃したことも何度かあります。その度に本末転倒のような消耗感を味わったので、彼の言葉は心に染み入りました。そこで彼は、パワーポイントを使わないダンスによるプレゼンテーデョンの意義を語ります。アメリカではNational Endowment of Artによる芸術への公的資金の削減が叫ばれていますが、彼が言うところによると削減したところで国の負債削減には殆ど影響せず、社会的な損失の大きさの方が重大とのこと。そしてダンスは科学だけでなく複雑な政治の課題、例えば「なぜ外国を攻めなければならないか」(ブラック)なども説明できると豪語しています。

 うむ。彼の言うことはもっともに聞こえます。しかし私が気になるのはダンスが手段になってしまうのではないかという点です。ダンスが何かを説明するために使われ、もし目的が果たせなかった場合そのダンスに意味がないと判断されるかもしれないからです。TEDのウェブサイトでも「パワーポイントではなくダンサーを『使う』」という表現があり、違和感を覚えました。アートはアートのままで意味があります。そもそも表現活動であるダンスは道具であるパワーポイントと比較できるものなのでしょうか。・・・ちょっと鼻息が荒くなってしまいました。が、この試みはダンスの一つのあり方でもあると感じました。彼は科学系博士課程の学生向けに、科学をダンスで表現する"Dance Your Ph.D"というコンテストも主宰しており、ジャンルを越えた学際的な可能性も期待できそうです。私が彼のトークで「科学もこう見ることができるんだ」と思ったように、ここからダンスに興味を持つ人も出てくる期待もあります。楽観的すぎるようなところもありますが、この楽観的なアイデアが社会の思いがけない変革に繋がるのかもしれません。


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