2015年9月6日日曜日

観ると撮る 〜美術館体験の拡張〜 

 スマートフォンを高々とあげてモナ・リザを撮る来館者たちを後ろから撮影した写真が、ameicanPHOTOという写真情報サイトのコラムに載っていました。なんというか、美術館で写真を撮るイケてない人たちの図っぽい。


 しかし2010年あたりから、MoMAを始めとしてニューヨークの美術館では、来館者の撮影を許可する流れになってきたようです。コラムの冒頭は批判的で、写真家は作品へのダメージや著作権など多くの課題と妥協しながら撮影してきたのに、美術館はなし崩しで撮影を許可し始めている、という論調でした。


 先月森美術館で観た「シンプルなかたち」展でも、来館者が作品を撮影する光景に遭遇ました。
 
 通常の展覧会では珍しいことですが、森美術館の企画展は、営利目的で使わないことを条件に撮影可能な作品がいくつかあります。今回は3点のインスタレーション作品が撮影できました。ただ、美術館側が撮影可能な作品をコントロールしているので、なし崩し的な例とは同じではないことは前提です。


 友人から聞いてはいたものの、静かに鑑賞している人たちが特定の展示室で写真を撮りはじめるというのは意表をつきました。オラファー・エリアソンの展示室では、「ほらほら、そこに立ってて」と不機嫌な息子にiPhoneを向けているお父さんに名所旧跡感があったり。邪魔してスンマセン、と恐縮しつつ展示室に入って罵声を浴びる…ことはなかったです。


 と書くと、作品もロクに観ないで写真を撮るなんて、ケッ、無粋な!と鼻息荒くなってる人だと思われそうですが、私は美術館の新しい風景だと感じました。コラムでは、「写真を撮ることで美術館の体験を記憶するのではなく、(写真の)イメージによって美術館を体験しているのだ」という意見も取り上げています。写真は記録媒体ではなく、体験の仲立ちするものに変化していると言い換えられるかな?森美術館も、写真を撮るという選択肢を鑑賞の一環に加わえて、SNSで共有するところまで想定して鑑賞に広がりを持たせているともいえそう。


 実をいうと、私はゲキ重い一眼レフを持っていってモタモタしただけでした。これこそ無粋でありますね。


2015年9月2日水曜日

一般国民の私とオリンピックエンブレム問題

 東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会がエンブレムがを白紙撤回しました。このまま行くんじゃない?という展開を予想していたのでびっくりというか、でもやっぱり、というか。

 1日の大会組織委員会の会見によると、エンブレムに関してはデザイナーは模倣していない、しかし一般国民の理解が得られないというのが理由だそうですが、いまひとつ撤回の決定打が分かりませんでした。法的には問題ないし独自性があるとしているなら使用できるのでは?そして「一般国民」って誰だろう?という二点が私の疑問です。オリンピック自体にはあまり興味のない一般国民の私ですが、法的な課題については前回のブログに書いた通りで、権利問題がなければ当初のエンブレムを使っていいと考えています。

 また、今回はデザイナーへの個人攻撃というか、ネット上の私刑のようなものが広がっているところにも気味の悪さを感じました。

 これから公募で決められる新しいエンブレムが、「一般国民」に受け入れられることになるのか、注目どころです。それまでには、オリンピックのエンブレムというものがどんなコンセプトで、何を目指してデザインされるのかを理解できる一国民になっていたいと思っています。

参考にしたのはこちらのNHKニュースです。

2015年8月28日金曜日

パンチ&デストロイ 名画に穴! in 台湾


   全世界の美術館・博物館関係者が白目をむきました。まずこちらの映像をご覧下さい。




中央社のYouTubeより

   台湾で開催中の展覧会で、12歳の少年がつまずいて150万ドル(約1億8000万円)の油絵に穴をあけてしまったのです。よろけたひょうしに右手でカンバスを思い切りパンチしているのが監視カメラに写っています。油絵は300〜400年前に描かれたパオロ・ポルポラという画家の作品で、イギリスの新聞The Guardian(8月25日)は「まるで悪夢が現実となったスラップスティックコメディのようだ」と書いています。笑っている場合じゃないよ。

   記事では「少年はアート界の困ったちゃんリストに名を連ねた」という前置きで、来館者が作品を破壊した例を紹介しています。靴ひもを踏んづけて転び、300年前の中国の花瓶を割ってしまった男性、ピカソの絵に倒れ込み15cmも破いてしまった女性、論外なのは、モネの名画を故意に破壊したとして逮捕されたアイルランド人の男性です。

   ところが26日、事態は急展開をむかえます。この名画は別の作家の作品によく似ており、価値も3万4000ドル(約41万円)以下かもしれないというニュースを時事通信が配信しました。これは本格的なコメディに舵が切られた予感がします。

  いや、贋作疑惑というサイドストーリーに惑わされてしまうのは美術館・博物館関係者には本意でないと思います。もっとつっこんで欲しいのは、展示方法や会場マネジメントの隙です。くわしく映像を見るとわかるのですが、油絵の手前にはロープが張られているだけでなく一段高くなっていて、何かに気を取られていたらひっかる可能性があります。少年の右手には飲み物を持っているのも確認できます。これはアウトだねー。

  わたしは美術館側の視点で見ているので主催者に工夫が欲しいと思いますが、来館者にすれば、ガチガチに管理された空間ではなく、気軽に名画に触れられた方がいいという見方もあります。そのあたりの意図と要望をどうすりあわせるかはやはりプロである美術館が担うものだと思います。

Boy trips in museum and punvhed hole through painting | The Guardian (25 Aug 2015)

2015年8月26日水曜日

「全く似ていない」オリンピックエンブレムとリテラシー

 オリンピックエンブレム問題にモヤついています。


 東京オリンピックのエンブレムが、ベルギーの劇場のロゴを盗作したものだと指摘された、あの件です。それ以降、あれも似てるこれもパクリだとあら探しが盛り上がったり、おもしろ半分に考えた新しいロゴをTwitterにのせたりしているのを見聞きします。ヘラヘラしている場合じゃない、このロゴは盗用なの?問題ないの?いちばん知りたいのはそこです。だってもうCMにも使われてるし、オリンピックは5年後じゃん!


 そのあたりを、ラジオっ子が大好きなTBSラジオ「荻上チキ・Session 22」(8月18日放送)のゲスト、弁護士の福井健策さんが解きほぐしてしてくれました。


  盗用かどうかを判断する前に、まずは商標権と著作権の二つを区別する必要があります(ここからして知らなかった)。商標権はトレードマークやロゴ、ブランドネームなど、国や地域ごとに登録されているもの。ベルギーの劇場のロゴは、商標登録されていません。一方、著作権は音楽や映像などの著作物が対象で、世界のどこであっても模倣は侵害とみなされます。


   では東京オリンピックのエンブレムについてはどうでしょうか。


 法的には、ロゴやマークなどは著作物にあたらないそうです。そうしておかないと簡単なシンプルなロゴなども全世界的に独占されることになり、使えなくなる可能性があります。一方、著作物は、より複雑なものを対象として、長く強い権利を与えてバランスを取っています。


 アルファベットのもじりはある程度似てくるので、今回の件では侵害は認められにくいというのが福井さんの意見です。


   それなら堂々と使おうよ?ということにならず、デザイナーの神妙な会見ばかりがクローズアップされています。福井さんは、論点はエンブレムのデザインなのに、デザイナーがいい人か悪い人かという話に拡散していることに違和感があると言っています。国際的な大規模なイベントではこういった問題はよく起こるので、慌てずに、というのが福井さんの弁です。


  この一件では、私たちが正しい情報にアクセスし、それを根拠に判断できるリテラシーを持っているかどうかを問われたと感じました。エンブレムがパクリかどうかという議論に、私たちは妥当な反応ができていたでしょうか。


    オリンピックほどの規模はあり得なくても、同じように判断に迷うできごとは私たちの身近には多々あります。そんなときは、感情的にならないで、落ち着いて、知恵をあつめて解決する。それが真摯な態度だと思います。

  やや広げすぎた風呂敷を畳みきれないままですが、今日はこれにて終了といたします。

2015年8月16日日曜日

アムステルダム国立美術館だョ!全員集合


 遅ればせながらドキュメンタリー映画『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』を観ました。レンブラントの『夜警』、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』などの傑作を所蔵していることで有名な、アムステルダム国立美術館の10年に及ぶ改修を追っています。粛々と進められる歴史的美術館の改修…なのかと思いきや、粛々なんてとんでもない、ゴタゴタに次ぐゴタゴタに振り回されっぱなしの舞台裏が明かされます。


 冒頭、巨大な重機がコンクリートの壁を噛み砕くシーンに不穏な音楽が流れます。美術館の再生という華やかな題材にしては違和感があるのですが、これは、大いなる不安の予兆なのでした。


 自転車が通れるスペースが狭い!意気揚々とエントランスの構想を語りはじめる建築家に、初っぱなから市民から反対意見が噴出します。これを皮切りに、大臣から景観保全の要請、度重なる建築案の変更、工事の中断、など難題が次々ふりかかります。そんな事態が起きるたび学芸員も建築家も、もちろん館長もてんやわんやです。でもなぜかそこにはコミカルさも漂います。始めは「美術館のコレクションは王室のものではない、市民のものですから、わはははは!」と、よく通る太い声で語っていた館長からついに、「納期に追われる方がよっぽどましだ!」という本音がこぼれます。この時点で彼の目はもう笑っていません。折衝ミーティングでは、(もうおうちに帰りたい…)という表情を浮かべているスタッフの顔にカメラが向けられます。混乱に乗じて自分のキャリアアップを密かに期待するハンサム学芸員も登場します。そんな中で「アジア館には金剛力士像を置きたいんだ。一週間家にこもって展示室の模型を作ったよ。40年後に『おじいちゃんがここを作ったんだよ』って孫にみせてあげたいな」というマイペースなアジア館部長のキラキラした瞳ったら!


 国立美術館の改修という歴史的な場面でスパイラルする、情熱と失望、あきらめとタメイキを、この映画は見事にすくいあげています。生きていれば必ずどこかで起きる、こんがらがった人間模様です。めでたしめでたしの大団円ではないけれど、みんなが望むエンディングではなかったかもしれないけど、私たちは日々途方に暮れながら生きていく。美術館に集まった人たちの表情が、そうやって人生は続いていくことを物語っています。



2015年8月3日月曜日

ドキドキで4! 「575と言葉」ワークショッブ in 山梨県立文学館

 甲府の最高気温が37.3℃という、今夏最も暑かった先週土曜日、山梨県立文学館で行なわれた「575と言葉」ワークショップに参加しました。


 講師の米光一成さんは「『ぷよぷよ』『BAROQUE』『トレジャーハンターG』などを企画制作したゲームデザイナー」、とまとめられたプロフィールをよく見かけますが、私にとっては公開句会、東京マッハの出演やレビュアー、編集ライター養成講座の講師などでの活躍が印象的です。文芸作品からスーパーホテルの温泉の素晴らしさまで、同じテンションで書かれているエキレビ!というレビューサイトが私のお気に入りです。米光さんの書いたものを読むようになって、なんでもかんでも読み散らかしっぱなし、書き散らかしっぱなしだった私は、言葉のあやつり方の面白さに興味を持つようになりました。


 そんな米光さんがこの山梨に?!ということで灼熱の甲府にのり込みました。


 参加者の対象は中学生以上、となっていたので、ティーンに混ざって大人がしゃしゃり出ていいものか…と思っていましたが、参加者は小学生から高校の文芸部、50代のおじさんも集まってわいわいムードでした。


 ワークショップは簡単なカードゲームで、5人ぐらいのグループに分かれて行ないます。キーワードと文字数(3、5、7、字余り)が書かれている小さいカードをめくり、例えば「はねる」で「5」というカードが出たら5文字で「はねる」を表す単語を考えます。みんなが出した答えをくらべて、一番票を集めた人が勝ち。そうきたかー!という単語もあれば、「軽い」で「3」というカードが出て「チャラ男」と書いた人が2人いるという展開もありました。小学生がいるグループから「セカオワ」という声が聞こえて(セカオワ…ってなんだっけ?)と自分の年を改めて実感し、胸キュンな言葉が飛び出る高校生グループに、なんてピュアな…と目が遠くなるなどもあり。ゲームが想定していなかった事態になったときは、なるべく面白くなる方へルールをゆるやかに変える米光さんの場さばき(?)にも同時に注目。


 最後は各グループで一番票を集めた人たちによる名人戦です。大喜利スタイルで米光さんが出したお題に答えます。「『ドキドキ』で4!」のお題で一番うけたのは女子高生の「呼び出し」。職員室に呼ばれちゃう高校生あるあるです。最後は「『しあわせ』で5!」。これは妙に重いお題。お子さんの付き添いで来たはずが、自分も参加してしまったという女性の答えは「息してる」。究極、と思ったところに小学生の女の子の「プレゼント」で一同拍手~!深淵からシンプルなしあわせにたどり着いて終了。


 私は美術館教育に関わってきたことがあり、ワークショップはいろんなかたちで見たり実践したりしてきました。ベースは教育なので、教室とは違う学びを提供したいという思いや、美術館や博物館に触れる機会を増やしてほしいという期待があります。効用を求めて窮屈になってしまうジレンマも感じてきました。でも、この日のワークショップでは、言葉や俳句という自分の得意分野から遠い場所で、参加者としてぞんぶんに楽しんできました。今日はもう、「楽しかったー!」で締めます。またどこかで、だれかとこのゲームで盛り上がりたいな。

2015年7月11日土曜日

帝国主義で人種差別的?「ラ・ジャポネーズ」をめぐって


 ここ数日ネットをにぎわしているボストン美術館の”Kimono Wedesday”(水曜日は着物の日)について考えてみます。ボストン美術館では今、印象派の展覧会が行われていて、これは、モネの絵画「ラ・ジャポネーズ」の前で打ち掛けのレプリカを着て写真を撮りましょうというイベントです。これに対してあるアジア系のアメリカ人(日系アメリカ人ではなさそう)から「帝国主義的」で「オリエンタリズム」で「人種差別的」あるということでイベントをやめるように抗議が行なわれました。抗議を受け、美術館はこのイベントを中止し、打ち掛けのレプリカを展示するだけという対応を行ないました。


 ツイッター上で抗議を呼びかけた人の主張や「典型的なアジア系のイメージを打ち壊そう」と呼びかけたfacebookページ、新聞記事などをあれこれ読んでなにが起こっているかを見ていきたいと思います。


 まず、facebookでのやりとり。抗議する人、それに反対する人の間でいくつか誤解が生じているのが分かりました。抗議者に対して日系アメリカ人はもとより、日本に住んでいるアメリカ人などが「着物を着ることなんてレイシズムでもなんでもないよ。着物は美しいし、日本の文化は素晴らしい。ちなみに僕の妻は日本人だ」云々…と反論しています。しかし、抗議している人たちは「絵のモチーフをまねて着物を着るな」といっているわけではなく、19世紀のヨーロッパ世界の帝国主義がいかに東洋人を下に見てきたか、この絵はそれを表しているといいたいらしいのです。興味本位に、ミステリアスな東洋というイメージしか持たず、我々西洋人とそれ以外、という差別的なラベル付けは現代のアメリカでも続いているではないか、と言っています。だから安易に文脈を理解せずに着物を着てポーズを取るのは「帝国主義的」で「人種差別」と主張しています。


 もう一点、さらにややこしいことになっているのが、初めに日本で紹介された記事が、「民族蔑視」で「帝国主義」なのが抗議の理由だと端折られて書かれていることです。これに対して「帝国主義」を日本がアジアに対して行なったものと思っている人がいて、ツイッター上ではいまさらなにを言う、とか、言いがかりだとか、ここでもまた違った文脈でくすぶっています。


 私が読んだ中ではThe Boston Globeの記事が全体の状況をうまく説明していました。この記事では「ラ・ジャポネーズ」を美術史的な観点からも書いています。現代の活動家や研究者の中でも、当時のジャポニズムは非西洋文化を単にミステリアスで理解不能でエキゾチックで、それゆえ自分たちより劣った人ととらえていたと考える人がいることを指摘していました。


 残念ながら10日の時点でfacebookのページは見られなくなっており、その後の展開を見ることができませんでした。


 一連の騒ぎを追って、いささかうんざり、というのが私の感想です。まずは「反○○」活動の乱暴さ。始めから怒っちゃってるからもう後に引けない。怒っている人を諭すかたちをとりながら、そこに燃料を投下する人がでてくる。美術館側も意図があってインタラクティブな展示にしたわけだし、「一部の人を不快にしたようなのでじゃあ止めます」って言って問題が解決したのかは分かりません。しかし、展示に悪意や他意がなければいいのか、正義に基づく主張は全てが許されるのか、また、日本人はこの議論の当事者になるのか、疑問が残る案件です。