2008年6月5日木曜日

博物館史探訪


 

 博物館や展覧会の歴史を知りたくて、いろいろと調べています。
以前から私は、「なぜ日本のメガ企画展には行列が出来る程人が集まって、まともに作品や資料を見られないぐらいの混雑ぶりになるにも関わらず、それが呼び水となるようにますます人が集まるんだろう?私たちはどうしてそういう状況に惹きつけられるのだろう?」という疑問を持っておりました。もしかしたら歴史を遡ってみればその答えのヒントがあるかも?と思い、博物館史関連の文献を探っていたところ、『博覧会の政治学』(吉見俊哉著・中公新書)にたどり着きました。

 この本では、帝国主義、消費社会そして大衆娯楽主義という切り口から、近現代の博覧会について語っています。そして、博覧会の歴史は、博物館展示の歴史とも交差するように発展していることも示唆されています。特に日本における博覧会の歴史を知ることで、日本の博物館の発展と共に、博物館来館者のあり方や行動についても浮き彫りになるところが多くありました。

 私は中でも、特に大衆娯楽主義という見方に興味を持ちました。まず、日本における博覧会の黎明期、政府はどのように博覧会が市民に体験されるべきかと考えていたかに注目してみます。明治政府は、日本で博覧会を開催するモデルとしてウィーン万博を捉えていました。この時実際に万博に行った工部大丞佐野常民は、博覧会と博物館が「相離れざる」ものであると評しました。さらに博覧会に対する姿勢は、「眼視の教」によって多数の展示物を比較しその善し悪しから製造法、使用法までを学ぶことである、としています。また、政府は見物人への注意書として、博覧会は開帳や見世物とは違って、珍奇なものを面白がったり、霊宝を拝んだりすることではない、と明記しています。

 さて、この政府の思惑は市民一人ひとりには浸透したのでしょうか?吉見氏はこう書いています。「・・・博覧会の見世物的な受容は、明治10年代までの内国博においてとくに顕著にみられるものだが、それ以降も完全に失われてしまうわけではない。新聞は読者に(中略)物見遊山で博覧会にやってくる人々が少なくないことに注意を呼びかけている。(中略)まさにこのような江戸以来の見世物との連続性を保ち続けたからこそ、博覧会は明治の民衆に早くから比較的容易に受容されることができたのだとも考えられるのである。」(pp134-135)このような考え方は、肌に感じる実感として私にとって納得できるものでした。『図解博物館史』(椎名仙卓著・雄山閣)によると、江戸時代には281年間の間に江戸では1565回もの開帳が行われていて、期間は3日から50~60日と、毎日江戸のどこかでは開帳が行われていたことになるそうです。そこでは相撲や芸人の奉納、手品、軽業、鬼娘の見世物なども見られたそうです。(pp.25-32)博覧会、そして博物館、美術館として展示空間が発展していく中で、開帳や見世物として展示空間を楽しむ精神は、現代に至るまで脈々と続いているように思えるのです。  

 見世物と展覧会を一緒にするなんて、と言われてしまうかもしれませんが、非日常的な高揚感、人々の賑わい、珍しい展示物、といったものに惹かれる気持ちが、展覧会に赴く動機としても少なからずあると思います。それは決して悪いことではなく、「何だか分からないけど、取りあえず来てみた」という人たちに、博物館、美術館が何を、どのような形で提供できるか、そして、そこから新しい好奇心や知識や、あるいはモノの見方について提案ができるかと考えていくことが重要なのだと思います。「混んでて何がなんだかわからなかった。」という感想だけを持たれてしまうのはもったいないことです!特に興味や知識はないけど噂になっているから来てみた、という人たちに例えば、企画展だけでなくて常設展にも行ってみよう、とか、日常的に博物館、美術館に行ってみようと思わせる「フック」を作ることが現代の日本の博物館、美術館には求められるのだと感じます。

 博物館史探訪の旅はまだまだ続きます。イギリスで博物館学のPhDを終えた友人からも「この本は是非読むべき」との強いお勧めもあったので、次はTony Benettの"The Birth of the Museum"を読もうと思います。