2009年7月20日月曜日

『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』

 一ヶ月程前、この本を読みました。Chim↑Pomというアーティスト集団が飛行機雲で広島の空に「ピカッ」という文字を描き、市民の不快感を呼び、被爆者団体を前に謝罪会見を行った、という顛末を書いたものです。この本に寄稿している評論家やアーティストの文章もやや興奮気味で的外れな印象がありましたし、大慌てで世に出しました、という感が否めない本ではありました。

 とはいえ、この本により「事件」の一連を垣間みることができました。しかしながら一層どうにもこうにも煮え切らない思いが私の中に広がったのも確かです。この騒動そのものに対してというより、それぞれの立場の反応が不思議、と思ったのが正直なところです。どうやら彼らの個展を開催する予定だった美術館の担当学芸員も「やるならゲリラ的にするしかない」というスタンスであり、大騒ぎになって初めてアーティストたちも「いや、あれは平和への願いを込めていて云々。」といった釈明をしたらしいです。
 
 私自身は「ピカッ」とさせることに対してはそれほど大きな驚きも感想もなかったのですが、ヒロシマという表象のあまりの大きさに、茫漠とした戸惑いを感じました。というのも、この「ピカッ」の直後に中国のアーティスト蔡國強氏が、原爆ドームの上に黒い花火を打ち上げる、というパフォーマンス(もちろん世界の平和を願って、の意味を込め)を行っているのです。
 
 この経緯を読んで、蔡國強氏は受け入れられ、彼らは受け入れられなかったのは、何を表現するかという軸を他人を説得できるレベルにまで強固にできなかったChim↑Pomと学芸員の未熟さが原因だったんだろうな、と思いました。日本、特に広島や長崎における被爆体験の持つ力の大きさと特殊性、そしてそこに無邪気にも足を踏み入れてしまった若いアーティストによって、表現することと受け入れられること、について再考させられる機会でもありました。


「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」
編:Chim↑Pom・阿部謙一
出版社:河出書房新社