2009年2月23日月曜日

初心に戻って

 銀座のメゾンエルメスの8階へ、Janet CardiffとGeorge Bures Millerの展覧会のオープニングに行きました。6年前、2003年にロンドンのホワイトチャペルギャラリーでみて、修論の事例で取り上げた展覧会の作家が来るということで、とても楽しみに出かけました。作品はその時と同じ『40声のモテット』が来ていました。会場をぐるりと囲んだちょうど大人の頭の高さにあるスピーカーから聖歌隊の合唱が聞こえるというものです。

 私は修論を書くにあたって、美術作品と美術館の場所の関係、美術館空間での来館者体験の特別さとは何か、について書きたくていろんな展覧会を見に行きました。この作品は、会場に入った途端に人々の振る舞いが変わるような面白い作用があると感じ、事例に取り上げました。宗教音楽という厳かな音と美術館の空間、そしてその場に入った途端に人々がスピーカーに耳を傾け、中央のベンチに座る様子はまるで振り付けられたような印象もあり、しばらくその場にいて人々の動きや表情を観察したのを覚えています。それ以来、美術館空間がもつ特別さ、人々の振る舞いを規定する力に興味を持ちつづけてきました。この課題についてはまだまだ答えは出ませんが、久々に初心に戻るような清々しい思いを持った夜だったのでした。

2009年2月21日土曜日

子どもたちの笑顔の先に? 〜岩井俊雄の特別授業〜

 NHK教育のETV特集『目覚めよ、身体、感覚の宇宙〜メディアアーティスト岩井俊雄の特別授業』(2月15日22:00〜23:00)を見ました。こちらでも書きましたが、TENORI-ONの作者であり、私が最も敬愛するアーティストの一人である、岩井俊雄氏が小学校で授業を行うという番組です。私は以前から、二人のお嬢さんとおもちゃづくりをしている岩井氏の日常を彼のブログで拝見しており、家庭を飛び出して、学校教育の現場で彼の創造性がどのように発揮されるのかとても楽しみにしていました。

 学校から依頼されて2週間で6学年に授業を行うことになった岩井氏。先生たちへのプレゼン、事態を把握しきれない先生たちにも粘り強く思いを伝え、図工室や音楽室でおもしろそうなものを探し、授業内容を練り、ちょっとした躓きもあり、そして・・・と番組は進んでいきました。それを見ながら私は「この番組の落としどころは、どこになるのだろう?『無事授業が終わってめでたしめでたし』ということになるのかしら・・・?」と妙な気持ちになってきました。果たして番組は、岩井氏がナビゲートする世界に全身で引き込まれ目を輝かせる子どもたち、そしてほっと安堵と達成感を見せる岩井氏、で終わりました。その後、私の妙な気持ちは2時間程続きました。

 その気持ちとは、「確かに子どもたちは楽しかった。先生たちも保護者たちも一緒に楽しんでいた。岩井氏は汗だくで頑張っていた。そして彼のクリエイティビティは余すところなく発揮されていた。でも、それでよかったのかなあ?」というものでした。私が一番気になったのは(TV番組というバイアスはかかっているにせよ)先生たちが及び腰の中、岩井氏が学校教育の現場で一人奮闘している「無理な感じ」です。私も無理な要求をしていると自覚していますが、岩井俊雄というアーティストが教育現場に飛び込んだのに、彼がそれを一手に背負ってしまうのはもったいないと感じたのです。

 たまたまラッキーなことに実現した「特別授業」ではなく、学校教育に何が必要だからこの授業をするのか、子どもたちはこの授業を受けて将来的にどうなってほしいのか(多分、みんな彼のようなアーティストになってほしい、ということではないはずです)、という広いところまで先生たちも含めてミッションを構築して、岩井氏にそのプロジェクトに入ってもらうという形になれば、別のジャンルのプロフェッショナルたちにも同じように、子どもたちの目を輝かせる授業を行ってもらうことが可能になるのではないかと思います。そこに必要なのは、プロデューサーのような存在なのでしょうか、それともマネジメントやコンサルティングのようなものでしょうか?私にはまだはっきりした答えは見つかっていません。

 アートはアートの世界だけで完結すべきではない、社会に何かを投げかけてこそアートの力が発揮されるはず、と最近考えている私には、この番組はかなりヘビーな課題が満載でした。



2009年2月16日月曜日

貧困・教育・芸術

 近考えていることを少し。先日、『子供の貧困ー日本の不公平を考える』という本を読みました。昨今の世界的な金融危機と経済悪化の中、教育や次世代育成にどんな影響が波及するのだろうか、と思っていた時に見つけたました。OECDの調査データをもとに、日本に見られる子供の貧困問題について分析しているものです。調査によると、日本の相対的貧困率はアメリカに次いで2位なのだそうです。にわかに信じ難い数字ですが、そこには「格差」どころではなく「貧困」の問題として取り組まなければならない現実があるということです。本書では、定量的なデータを用い、親の貧困が子供の貧困へと連鎖し、子どもを教育の機会からも遠ざけてしまうという問題を大変鋭く読み解いています。

 中でも私が興味を持ったのは、経済的理由で進学できない、という問題だけでなく「努力」「意識」「希望」に格差を生じている、という点でした。安心感を持って子供時代を過ごすことが、その後の人生に大きな影響を与えることに気づかされたのです。貧困問題は、間接的にかつ長期的に、自尊心を持つことや、他者を理解しようという思い、自分の力を試そうとする原動力にじわじわと作用するのものなのではないかと思いました。

 そこでふと思い出したのが、ベネズエラのエル・システマという音楽教育制度です。これは1975年指揮者のJose Antonio Abreuによって設立されたもので、クラシック音楽の教育を通じて、貧困層の子どもたちが麻薬や犯罪に染まるのを防ぎ、彼らの可能性を育て地域社会にポジティブな影響を及ぼすことを目指しています。昨年の12月にエル・システマのオーケストラである、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ(SBYO)が来日公演をしたことをご存知の方もあるかもしれません。着目すべきは、エル・システマが30年以上活動を続け、かつ社会にもインパクトを与えているという点です。エル・システマ出身の指揮者、Gustavo Dudamelは2007年にSBYOを率いてロンドン公演を行ったときのインタビューで、「音楽のお陰で、犯罪や麻薬といった悪いものから自分を遠ざけることが出来た」と語っています。貧困と教育という二つの課題に対してこれだけ時間をかけて取り組み、実際に子どもたちに自信を与え、可能性に向き合える機会を与えたという点に圧倒されました。日本でこういった取り組みがそのまま有効かどうかは別の問題ですが、一つの取り組みとして力のあるものだと感じます。

 さてこの次私が考えるべきことは、博物館や美術館は貧困と教育の問題にどんなアプローチが与えることができるか、ということです。博物館や美術館は、子どもたちが努力し、希望を持つ力、そして社会を変えていこうという意識を獲得する場となりうるのでしょうか。できるとすれば、それはどんな形で実現するのでしょうか。経済危機は、こういった課題を考えるきっかけを与えてくれたといえるかもしれません。


『子どもの貧困ー日本の不公平を考える』
阿部彩 著
出版社:岩波書店
エル・システマ 英語ウェブサイト