2012年5月31日木曜日

TED東京オーディション:プレゼンテーションのアート


(English follows after Japanese)

 一昨日、TEDxTokyoのオーディションを観に行きました。数日前、最後の観覧募集がtwitterで流れてきたので、気合いを入れて応募したところ当選したものです。初めての東京オーディションで選ばれた登壇者は、来年ロングビーチで行なわれるTEDに参加するチャンスが得られます。
 
 今日はいつものアートやミュージアムの話題からは少し離れますが、プレゼンテーションのアート(技術)ということで取り上げたいと思います。
 
 集まった登壇者は20名程で、分野は経済、科学、コンサルティング、アート、パフォーマンスなどでした。それぞれ英語で5分のプレゼンテーションを行ないます。日本人ばかりかと思っていましたが、日本人と日本以外の国出身者が半分ずつぐらいでした。
 内容やトピックはさることながら、今回はプレゼンテーションの妙を学ぶことができました。例えば語りの間。観客が聞いているかを確認すると同時に、観客も話し手のリズムを掴むことが出来ます。この間に拍手や「ひゅーひゅー!」というかけ声も入るのですが、それは英語圏のリズムっぽくて私は乗り切れず戸惑いました。そしてもう一つは締めの一言。これが上手く決まっているかどうかで、後々記憶に残るかの分かれ目になりました。例えば、フリーダイバーの二木あい氏は、一般の人たちが知り得ないダイバーの身体感覚や海中での経験を話しました。ここまではなるほど、そんな世界もあるんだ、というところで終わってしまいますが、彼女はその体験を私たち一般の人たちに引きつけて「例えばシャワーや、手を洗う時、顔を洗う時、生活の中で水を感じ、私が体験したように自然を感じて欲しい。」と締めくくりました。未知の世界から普段の生活にぎゅっとクローズアップされたスピーチでした。
 
 オーディションは司会進行からプレゼンテーションまで全て英語でしたので、この間合いや雰囲気は英語圏特有の「何か」なのかな、というところもありました。日本語でそのまま話すと納得するだろうと思えるものでも、英語になると何となくもやっと聞こえてしまうものがあったり。今回は英語でしたが、母国語でない言語でプレゼンテーションをする時、なるべくネイティブに近い話法がいいのか、それぞれの国民性のようなものを活かした方がいいのか、なども考えさせられます。その違いや諸々を含めて今回の東京オーディションは刺激的な体験でした。


TEDxTokyo audition: The art of presentation
I got an invitation to the audition by TEDxTokyo. I found the announcement on twitter a few days before so it was no doubt to apply limited seats.
The winners in this audition will have a chance to be on the stage at TED in California in 2013.
Usually, I write about art and museums in this blog, but today, I will focus on the art (=technique) of presentation inspired from the audition.
There were twenty speakers on that night. They talked or performed from a variety of fields such as economy, science, consulting, art or performance. Even I thought there were only Japanese; however, the half of them were non-Japanese.
Apart from various content of selected presentations, what I learned was there being the art of presentation. One thing is appropriate poses between speech. They make audience follow the rysnm and groove of presentation. The audience in the venue cheered them with clap hands and yell among poses. To be honest, for me, I felt a little bit uncomfortable in this atmosphere. It was not familiar for me who was brought up in Japan. The other point is the words that bring together to complete the presentation. When you prepare good words to conclude your presentation, you could leave a vivid impression. The example is one of the speakers Ai Futaki. She talked about her experience as a deep diver. She invited us to the world what she saw and felt deep in the water. Her unique experience brings us to the marvellous place where we never know. If it ends here, it is just a story too far from our everyday life. Futaki concluded her speech as follows, "For example, when you take shower, wash your hands or face, feel nature through water as I do." at the end of speech. When I heard these words, I felt that unknown world in deep sea became close to my life.
Since this programme was all in English, the atmosphere seemed to be something of English-speaking culture. In some presentations by Japanese, I felt awkward to listen to it in English as I am a native Japanese. This made me think following questions. Should Japanese try to speak totally as same as native English speakers? Would it be better to emphasis our culture behind our mother tongues? The presentations were eye-opening, and some of them were even mind-blowing. TEDxTokyo audition gave me not only chance to see things from different viewpoints, but also made me rethink the art of speech in foreign languages.

2012年5月21日月曜日

セックス・教育・博物館



 カナダのティーンをターゲットした性に関する展覧会が議論を呼んでいます。先日「大人向け」としてNYのThe Sex Museumを紹介しましたが、これは反対に子供向け、子供の性教育を目指したものです。5月17日からオタワ科学技術博物館で始まった"Sex: A Tell-All Exhibition"が問題の展覧会です。企画はモントリオール科学センターで、性科学者の協力を得て学校の性教育プログラムの変革を目指しています。

 展示には性感帯をライトアップした男女の裸の像、セックスに関するQ&Aに答えるビデオディスプレイなど、かなり大胆な内容を真面目に扱っています。大人でもそう誰とでも気楽に話す内容ではないと思います。しかも対象年齢は16歳からで、それ以下でも大人の同伴があれば見学できるそうです。地元のメディア、OTTAWA SUNではこの企画展について街の声を伝えています。高校生ぐらいの男の子たちは、周りの友達の反応を気にしながら「こういう話題は親とはしない。」とか「ちょっとゲッて感じ。」と言っていました。大人たちは「性教育は早い方がいい。」といった肯定的な意見が多くありました。自分も16歳でこの企画展に連れて来られたらかなり戸惑うかも。男の子たちの気持ち、分かる。でも大人になった私がこの内容を見ると、あれこれ不安になるより博物館の権限の元に安心して情報を手に入るというのはいいことかもしれない、とも思うのです。子供の反応に大人がどう対応するかがこの企画展の肝と言えるかもしれません。

 この企画展に子供を連れてくる大人への配慮も見られます。企画展のサイトにはFAQが設けられ、誰に向けた企画展か、科学的文脈にどのように関係した企画展か、子供にセックスを奨励する企画展なのか、といった質問について15の項目に渡って答えています。さらに面白いことは、市民からのコメントが書き込めるようになっている点です。概ね館長への賛同のメッセージが連ねられているのですが、中には「セックスは結婚という相応しい文脈で語られるべき」といった言葉も書かれています。意見を交わせる場があることも、博物館側のよく考えられた対応を示していると思います。

 一方、公共の博物館でこのような企画展を行なうことに否定的な意見も聞かれます。カナダの納税者組合はThe Sex Museumに言及し、これは公共ではなく私立の博物館で行なうべきものだ、と主張しています。ここにはなかなか面白いポイントが隠されています。公共の博物館で何を取り上げるのが相応しく、また何が相応しくないか、という判断の基準はどこにあり、誰が決めるかと言うことです。博物館を語る入れ子のような、メタ博物館と言える問題も期せずして見えてくるように思います。

SEX: A TELL-all Exhibition Canada Science and Technology Museum

2012年5月11日金曜日

さらばパワーポイント、ダンスで語れサイエンス

 

 「ダンスVSパワーポイント」ですと?興味を引かれるタイトルです。今日は久しぶりにTEDからの話題です。複雑な問題をダンスで表現する試みを行なっている科学ライター、John Bohannon氏がゲストです。Bohannon氏が進める話の内容に合わせて、ダンサー達が踊ります。(ある子供番組で、ダンサーの森山開次が臓器をイメージして踊っていたのを思い出しました・・・。これとはちょっと違います。)彼は、ある物理学者から複雑な理論を聞いた時に聞けば聞く程混乱したという経験を話しました。難しい話を平易に語るのは簡単ではありません。そこで彼はダンスでサイエンスの問題を語ることを思いつきました。TEDで紹介されたダンスの一つに、絶対零度と超流動を説明するものがありました。彼の説明に合わせて、ダンサーが動いたり、止まったり、流れるような動きをします。言葉と動きで説明を追うと、文字で読むのと違って立体的に実感するように思えました。実際に理解できたかはさておき。

 ここで彼はダンスVSパワーポイントについて説明します。科学でも政治でも何かをプレゼンする時、パワーポイントが使われ過ぎてどれだけ経済的な損失をあたえているかを指摘します。パワーポイント資料の1/4が時間の無駄という調査もあるそうです。私自身も、仕事でパワーポイントの資料を作っていて終電を逃したことも何度かあります。その度に本末転倒のような消耗感を味わったので、彼の言葉は心に染み入りました。そこで彼は、パワーポイントを使わないダンスによるプレゼンテーデョンの意義を語ります。アメリカではNational Endowment of Artによる芸術への公的資金の削減が叫ばれていますが、彼が言うところによると削減したところで国の負債削減には殆ど影響せず、社会的な損失の大きさの方が重大とのこと。そしてダンスは科学だけでなく複雑な政治の課題、例えば「なぜ外国を攻めなければならないか」(ブラック)なども説明できると豪語しています。

 うむ。彼の言うことはもっともに聞こえます。しかし私が気になるのはダンスが手段になってしまうのではないかという点です。ダンスが何かを説明するために使われ、もし目的が果たせなかった場合そのダンスに意味がないと判断されるかもしれないからです。TEDのウェブサイトでも「パワーポイントではなくダンサーを『使う』」という表現があり、違和感を覚えました。アートはアートのままで意味があります。そもそも表現活動であるダンスは道具であるパワーポイントと比較できるものなのでしょうか。・・・ちょっと鼻息が荒くなってしまいました。が、この試みはダンスの一つのあり方でもあると感じました。彼は科学系博士課程の学生向けに、科学をダンスで表現する"Dance Your Ph.D"というコンテストも主宰しており、ジャンルを越えた学際的な可能性も期待できそうです。私が彼のトークで「科学もこう見ることができるんだ」と思ったように、ここからダンスに興味を持つ人も出てくる期待もあります。楽観的すぎるようなところもありますが、この楽観的なアイデアが社会の思いがけない変革に繋がるのかもしれません。


2012年5月8日火曜日

Twitter

 博物館円卓会議のTwitterも始めました。ブログで書ききれなかったあれこれを紹介していきます。@m_roundtableで更新中!


2012年5月4日金曜日

Tsunami Debris Project 東北の津波とカナダの博物館をつなぐもの

 東日本大震災の大津波で流された物が、1年以上経ち次々とカナダの西海岸で見つかっているというニュースを聞きます。サッカーボールやバイクなど持ち主が判明した物もあるとのこと。生活の全てを流されてしまった人たちにとって、思い出が甦ると同時に喪失感を新たにするような複雑な気持ちになるのではないかもと想像します。

 この一連の流れ着いた瓦礫について、カナダの博物館でとある活動が始動したそうです。ブリティッシュコロンビア州海洋博物館の"Tsunami Debris Project (津波漂着物プロジェクト)"と呼ばれるものです。5月1日のABC Newsの記事が報じていました。津波による漂着物の写真を集め、元の持ち主を繋ぐことが目的だそうです。記事によるとプロジェクトのコーディネーターは、「単に記録するのではなく、展示として津波で全てを失った人たちの個人や心情といった価値のある社会的、人間的な物語を伝えたい。」と語っています。博物館ではウェブサイトで見つかった漂流物の写真を公開するそうです。そこから、元の持ち主が思い出の詰まったものを見つけて欲しいそうです。

 コーディネーターはまた「多くの漂着物は漁業関連の破片であったり個人的な思い入れのないものばかりかもしれませんが、いくつかはサッカーボールのようなものが見つかるでしょう。それは宝探しのようなもの。何が見つかるか私たちにもまだ分からないのです。」と言っています。博物館では連邦政府、州政府と連携し情報の共有や必要であれば撤去なども進めるそうです。博物館の迅速な実行力に驚かされました。

 フェイスブックでもページが設けられており、漂着物を見つけた際には写真を貼付けて欲しいと呼びかけています。博物館が仲介となってその漂着物が何か、どのような意味があるかを探ります。このページは先月25日に開設され、5月4日に見たところ既に1279人の"いいね”が得られたようです。このように現代の現実的なトピックを取り上げ、さらにSNSを活かして活動を広げていくというのは、博物館の新しいあり方と言えるでしょう。「もの」に込められた物語や思いを提示していくという、社会的な役割を誠実に果たししていると感じました。

 津波に襲われた人たちへの共感を込めてこのプロジェクトを発案した博物館に感謝すると共に、東北に住む多くの方々への支えや励ましとなる活動になって欲しいと願います。私もフェイスブックで活動の過程を見ていくつもりです。何か動きがあればこのブログでも随時紹介したいと思います。

The maritime Museum of BC "Tsunami Debris"ウェブサイト
フェイスブック "Tsunami Debris Project - Maritime Museum of BC" ページ