2012年12月2日日曜日

わくわくから闇のむこうへ




 『FBI美術捜査官 -奪われた名画を追え-』という本を図書館で見つけたとき、迷わず書架から引きぬき貸し出しカウンターに持って行きました。一時期パトリシア・コーンウェルの推理小説、FBI検屍官シリーズにのめり込んでいたこともあり、FBI、しかも美術捜査官というタイトルに心奪われました。てっきりフィクションだと思っていたのですが、よくみると著者はFBIで美術捜査官を務めていたロバート・K・ウィットマンとのこと。

 美術品の盗難といえば、謎の犯人による大胆な犯行の後に盗品が思わぬところで見つかるなど、不謹慎ながらちょっとしたわくわく感があります。人が殺されるほどの事件を聞かないので深刻ぶることもないかなと思ったりもします。(博物館学を学んだ者としてはいかがかと思われるところですが。)しかしこの本を読み進めてそのわくわく感はわきに追いやられました。

 ウィットマンは美術館などから盗まれた美術品を奪還するFBIのチームでキャリアを積みました。彼の手記によると捜査は地道でダイナミックです。まずは小さな情報から綿密な裏付け捜査を行います。犯人の目星がつくと彼らを信用させるために偽ディーラーを装い取引を持ちかけます。そして犯罪が実証されたところで人も美術品も傷つけずに盗品を取り戻す、という長い道のりは息が詰まりそうになります。解決に何ヵ月、何年もかかることもあるそうです。忍耐強さと交渉能力、役になり切る役者魂などウィットマンの捜査官としての多彩ぶりに驚かされました。(かなり詳細まで明らかにされていますが、FBIと版元双方の弁護士との交渉がかなりあった模様です。共著に弁護士の資格を持つ記者の名前も記されているので背後にはいろいろ読み手には知らされないこともあると思います。)

 華麗な犯罪解決劇には目を奪われますが、名画が欲や金のために翻弄される様が生々しく描かれているところも読み応えがあります。犯人たちの目に映る美術品は、歴史の証しとしての、研究資料としての、後世に伝えられるべき共有財産としての価値はなく、金銭的な数字だけで値踏みされます。

 しかし捜査官といえども人間です。偽ディーラーに扮した彼に心を許した犯人を結果的に裏切る現実に彼は動揺します。アメリカ先住民の工芸品を不正に売買し、逮捕された犯人から宛てられたメールのくだりでは私の心も痛みました。(ここはネタバレしないように。読んでのお楽しみです。)強奪犯の後ろには麻薬組織や国際的なギャングがいることがほとんどで、割に合わないリスクを負うしかない人たちも垣間見えます。また、手柄を独占したいがために国を越えてまで互いの足を引っ張り合う捜査官や警察の様子も描かれています。あらゆる欲にかられて美術品を強奪する犯罪者と彼らには、それほど違いはないのではないかという嫌な後味が残りました。

 後書きによるとウィットマンは強奪犯はおしなべてとてつもなく強欲だと語ったそうです。わくわく感などと呑気なことを言っていましたが、最後に見えたのは犯人に限らず自分を含めたあらゆる人間の強欲さでした。強欲さはたんなる金欲しさかもしれないし、虚栄心やメンツやくだらないプライドを増幅するものかもしれません。その破壊力に背筋が寒くなりました。この本は美術品強奪という犯罪を描いていますが、実は人間のありようを残酷に映していると感じます。好奇心から踏み入れた世界につながった大きな闇に吸い込まれるようなそんな思いになる一冊でした。