2009年10月20日火曜日

トらやんに会いに


   

 関西へ行く機会がありました。帰りの新幹線に乗るまでの時間に、ヤノベケンジ氏のプロジェクト、「トらやんの大冒険」を見て回りました。クラシックな大阪市役所に展示されたジャイアント・トらやんを見て、京阪なにわ橋駅アートエリアB1で行われたヤノベ氏のトークをちらりと聞いてきました。ちょびヒゲおっさんの腹話術人形が放射線探知服アトムスーツを着た「なにわのトらやん」。でっかいトらやんが、市役所のエントランスホールに居り、来る人を見下ろしています。振り返ると、中二階の手すりにちっこいトらやんが手を振っています。川べりを歩いてアートエリアB1にたどり着くと、さらに沢山のトらやんが!地下鉄のエスカレーターの手前に作られたスペースで、スライドを背に語るヤノベ氏は、「ラッキードラゴン」と名付けられた作品=船が大阪の水辺をぬいながら水を吹き上げたり、目を光らせたりする様子を解説しています。

 相変わらず、アートの意義やらについてもやもやしていた私は、トらやんを見上げたり、ヤノベ氏の熱いトークを聞きながら「飢餓の子どもに栄養を与えたり、紛争を解決したりするでもない、何か目に見える『成果』が表れる訳でもないアートの効用とは何だろうなあ。」と考えを巡らせていました。ゲストでぎっしりのトーク会場を遠巻きに眺めつつ、何かを形にして、人前に差し出してみせるヤノベ氏のガッツというか、情熱のようなものをぼんやりと感じつつ思ったのは、人の想像力を通じて何かよきものを願ったり、待ちわびたりする訓練、あるいは追体験をさせてくれることが、アートのなせる技なのかも、ということです。まだちょっとうまく言葉にできません。アートを巡る私の大冒険もまだまだ続きます。


2009年10月4日日曜日

ようこそGustavo!




 LAフィルの音楽監督に就任したエル・システマ出身の指揮者、Gustavo Dudamelのステージが昨日ライブ配信されたのを見逃してしまいました。何日か前にLAフィルのウェブサイトを見ていてチェックしていたのですが、すっかり忘れていました。LAフィルのウェブサイトはDudamel一色で、『君も指揮に挑戦!Gustavoみたいにできるかな?』なんていうゲームまであって、アイドル並の扱いにビックリしつつ、あちこちクリックして眺めていたところ、彼がLAヤングオーケストラを教えている映像を発見しました。小学生ぐらいの子どもたちのオーケストラで、よれよれな音もまた微笑ましいのですが、Dudamelの情熱的な言葉と身振り手振りに引っ張られて、みるみる自信のある音に変化していく様子にこちらも引き込まれました。「これでいいのかなあ・・・」という顔をしながら叩いていたティンパニの男の子が、自分の出したクリアな音にはっとする表情が印象的でした。
 
 こんな風に、音楽でも、美術でも、ダンスでも、体でふっと納得する、というか腑に落ちる瞬間ってあるよね、と私も自分の体験を振り返ってそう感じました。演奏したり、創作したりするだけでなく、見たり、聞いたりする立場にもそういう瞬間は訪れます。その体験の積み重ねによって、私はアートを大切なもの、貴重なもの、と思うようになったのではないかと思います。ここのところ、芸術の意義や奥深さを説明するにはどうしたらいいのか、ということをあれこれと悩みながら考えていたのですが、2分程の短い映像に、何かヒントが隠されているような思いがしました。