2015年7月11日土曜日

帝国主義で人種差別的?「ラ・ジャポネーズ」をめぐって


 ここ数日ネットをにぎわしているボストン美術館の”Kimono Wedesday”(水曜日は着物の日)について考えてみます。ボストン美術館では今、印象派の展覧会が行われていて、これは、モネの絵画「ラ・ジャポネーズ」の前で打ち掛けのレプリカを着て写真を撮りましょうというイベントです。これに対してあるアジア系のアメリカ人(日系アメリカ人ではなさそう)から「帝国主義的」で「オリエンタリズム」で「人種差別的」あるということでイベントをやめるように抗議が行なわれました。抗議を受け、美術館はこのイベントを中止し、打ち掛けのレプリカを展示するだけという対応を行ないました。


 ツイッター上で抗議を呼びかけた人の主張や「典型的なアジア系のイメージを打ち壊そう」と呼びかけたfacebookページ、新聞記事などをあれこれ読んでなにが起こっているかを見ていきたいと思います。


 まず、facebookでのやりとり。抗議する人、それに反対する人の間でいくつか誤解が生じているのが分かりました。抗議者に対して日系アメリカ人はもとより、日本に住んでいるアメリカ人などが「着物を着ることなんてレイシズムでもなんでもないよ。着物は美しいし、日本の文化は素晴らしい。ちなみに僕の妻は日本人だ」云々…と反論しています。しかし、抗議している人たちは「絵のモチーフをまねて着物を着るな」といっているわけではなく、19世紀のヨーロッパ世界の帝国主義がいかに東洋人を下に見てきたか、この絵はそれを表しているといいたいらしいのです。興味本位に、ミステリアスな東洋というイメージしか持たず、我々西洋人とそれ以外、という差別的なラベル付けは現代のアメリカでも続いているではないか、と言っています。だから安易に文脈を理解せずに着物を着てポーズを取るのは「帝国主義的」で「人種差別」と主張しています。


 もう一点、さらにややこしいことになっているのが、初めに日本で紹介された記事が、「民族蔑視」で「帝国主義」なのが抗議の理由だと端折られて書かれていることです。これに対して「帝国主義」を日本がアジアに対して行なったものと思っている人がいて、ツイッター上ではいまさらなにを言う、とか、言いがかりだとか、ここでもまた違った文脈でくすぶっています。


 私が読んだ中ではThe Boston Globeの記事が全体の状況をうまく説明していました。この記事では「ラ・ジャポネーズ」を美術史的な観点からも書いています。現代の活動家や研究者の中でも、当時のジャポニズムは非西洋文化を単にミステリアスで理解不能でエキゾチックで、それゆえ自分たちより劣った人ととらえていたと考える人がいることを指摘していました。


 残念ながら10日の時点でfacebookのページは見られなくなっており、その後の展開を見ることができませんでした。


 一連の騒ぎを追って、いささかうんざり、というのが私の感想です。まずは「反○○」活動の乱暴さ。始めから怒っちゃってるからもう後に引けない。怒っている人を諭すかたちをとりながら、そこに燃料を投下する人がでてくる。美術館側も意図があってインタラクティブな展示にしたわけだし、「一部の人を不快にしたようなのでじゃあ止めます」って言って問題が解決したのかは分かりません。しかし、展示に悪意や他意がなければいいのか、正義に基づく主張は全てが許されるのか、また、日本人はこの議論の当事者になるのか、疑問が残る案件です。

2015年7月7日火曜日

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』


















 気になる本を読んでみました。ここ数ヶ月、ツイッターでよく見かけた『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗著)です。美学の研究者が、見えない人がどのように空間を認識し世界を構築しているかを紹介しています。


 ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)という、視覚障害者のアテンドに導かれ、真っ暗闇の空間を体験するというイベントに参加したことがあります。案内してくれたアテンドの心強さに、見えないのに、なんで見えているみたいにふるまえるんだろう、と不思議に思いました。それと同時に、見えない人は、見える私が体験したことのない感覚で生きているのかもしれない、それはなんだろう、という疑問がずっと頭にひっかかっていました。


そんな疑問にひとつずつ答えてくれたのがこの本でした。先天的に見えない人、全盲の人、中途失明の人など何人もの見えない人(見えないといってもさまざまなのでこの本では「見えない人」という表現になっています)にインタビューして、見えない世界とはどういうものかを論じています。


 見えない人が街を把握するやり方について書かれている部分があるのですが、そもそも見える人と見えない人では空間の捉え方が違うということが分かりました。見える人はあそこにスーパーがあって、ここには本屋があって、という具体的な視覚情報に頼っていますが、見えない人は抽象的にとらえた空間に、駅や信号といったランドマークを置き、その配置や関係で街を理解しているそうです。見える人が共有している普遍的な街の風景の中で、見えない人は視覚以外の感覚で補完して生活しているのだと思ってたので、見える人と違うレイヤーの空間があったことが衝撃でした。DIDのあとに探しあぐねていた「私が持っていない感覚」は、把握している空間の違いから生まれたものだったのかもしれません。そのあとも空間把握について書かれているのですが、見えない人は見える人に比べて、より空間を抽象的に、そのままのかたちで理解しているそうです。見える人は自分がいる場所から見えるものに左右されますが、見えない人はより俯瞰的に空間を捉えているので死角がない、とも書いてありました。


 さらに面白かったのが、見える人と見えない人とのレイヤーの違いは、思考の方法にもみられるということです。それまで斜視だった人が立体視ができるようになった後、空間にある物と物の位置関係がぱっと見て分かるようになっただけでなく、論文を読む時にも全体を一気に把握できるようになったそうです。情報処理の仕方が変わり、部分を積み重ねて理解するというプロセスが、全体を把握して細部を検討するという思考方法に変化したということです


 もうひとつ紹介したいエピソードは、全盲の子どもが作った壷のような粘土の作品です。見た目に壷のようなものであれば、表面に模様をつけるのが普通だと思ってしまいますが、その子は内側に模様をつけ始めたそうです。見えない人は視覚に縛られないゆえに表面、裏面、外側、内側といった、空間を構成する位置関係から自由になるのだそうです。こうなると、普遍的と信じている空間そのものがスライムのようにぐんにゃりと変わっていく感覚になります。


 ここでは書ききれませんが、ブラインドサッカーや美術館のソーシャルビューについても紹介していて、見える人と見えない人のコミュニケーションの取り方についても分かりやすい例が多く取り上げられています。文体も温かみがあり著者のまなざしが感じられるようでした。見えない人との関わりで培ったゆたかなまなざしとも言える気がします。

2015年7月4日土曜日

『シンプルなかたち展:美はどこからくるのか』


 今回は21-21 DESIGN SIGHTとともに、森美術館の「シンプルなかたち展:美はどこからくるのか」を観にいきました。六本木二本立てです。このキュレーターとはうまい酒が酌み交わせそうな、私の好みにぴったりの展覧会でした。


 シンプルなかたちをテーマに考古学資料から現代アートまで領域横断的に集められた作品が同位にあり、直感的な展示が特徴的でした。ガラスケースにたたずむ円空仏を覗き込み、天井に突き刺さりそうなブランクーシの鳥を見上げ、オラファー・エリアソンのインスタレーションに目を奪われ…視点が様々な方向に引きよせられました。


 シンプルなかたちからは、美しさとともに「正しさ」のようなものも感じました。数学や物理工学というジャンルからも作品が取り入れられていることからも、そういった意図があったのではないかと思います。

 私的圧巻は、ルチオ・フォンタナの赤いキャンバスの作品から、田中信行の漆の作品までのコーナーでした。「この一角、欲しい…」と思うぐらい心掴まれました。

-------------------------------------------------------------------
『シンプルなかたち展:美はどこからくるのか
森美術館
〜2015年 7月5日(日)

2015年7月3日金曜日

『動きのカガク』展



 21-21 DESIGN SIGHTで『動きのカガク』展を観てきました。動きの仕組みとそれを使った作品が展示されています。平日の午後でしたが、来館者は学生さんらしき人たちや家族連れなど様々でした。

















 タイトル通り動く展示で、触って体感できるものが多く、来館者も積極的に動いてる風景がミュージアムっぽくない面白さがありました。レスター大学のMOOC、「Behind the Scene at the 21st Century Museum」でも展示空間について言及している部分があり今回の展覧会も個人的に興味がありました。MOOCで紹介されていた新しいリバプール博物館は、順を追う必要がなく、好きなように展示室を廻れる建築にしてあるという点を強調していました。この企画展も、仕切りのないフロアに作品が並んでいて、来館者が空間の中で混ざりあっているように見えます。インタラクティブというより、興味のままに来館者が作品に誘導されているとも感じました。

作品のキャプションには動きの仕組みと材料が紹介され、それ自体が展示のようになっていました。深く知りたい場合はこのキャプションを読めばいいし、子どもなら「ワーイ!」と単純に楽しめます。来館者の年代や知識に違いがあっても、どこかで接点が見つけらるところがこの展覧会の魅力です。

------------------------------------------------------
動きのカガク』展
21-21 DESIGN SIGHT
〜2015年 9月27日(日)
毎週火曜日休館 (9月22日は開館)
10:00〜19:00