2012年12月2日日曜日

わくわくから闇のむこうへ




 『FBI美術捜査官 -奪われた名画を追え-』という本を図書館で見つけたとき、迷わず書架から引きぬき貸し出しカウンターに持って行きました。一時期パトリシア・コーンウェルの推理小説、FBI検屍官シリーズにのめり込んでいたこともあり、FBI、しかも美術捜査官というタイトルに心奪われました。てっきりフィクションだと思っていたのですが、よくみると著者はFBIで美術捜査官を務めていたロバート・K・ウィットマンとのこと。

 美術品の盗難といえば、謎の犯人による大胆な犯行の後に盗品が思わぬところで見つかるなど、不謹慎ながらちょっとしたわくわく感があります。人が殺されるほどの事件を聞かないので深刻ぶることもないかなと思ったりもします。(博物館学を学んだ者としてはいかがかと思われるところですが。)しかしこの本を読み進めてそのわくわく感はわきに追いやられました。

 ウィットマンは美術館などから盗まれた美術品を奪還するFBIのチームでキャリアを積みました。彼の手記によると捜査は地道でダイナミックです。まずは小さな情報から綿密な裏付け捜査を行います。犯人の目星がつくと彼らを信用させるために偽ディーラーを装い取引を持ちかけます。そして犯罪が実証されたところで人も美術品も傷つけずに盗品を取り戻す、という長い道のりは息が詰まりそうになります。解決に何ヵ月、何年もかかることもあるそうです。忍耐強さと交渉能力、役になり切る役者魂などウィットマンの捜査官としての多彩ぶりに驚かされました。(かなり詳細まで明らかにされていますが、FBIと版元双方の弁護士との交渉がかなりあった模様です。共著に弁護士の資格を持つ記者の名前も記されているので背後にはいろいろ読み手には知らされないこともあると思います。)

 華麗な犯罪解決劇には目を奪われますが、名画が欲や金のために翻弄される様が生々しく描かれているところも読み応えがあります。犯人たちの目に映る美術品は、歴史の証しとしての、研究資料としての、後世に伝えられるべき共有財産としての価値はなく、金銭的な数字だけで値踏みされます。

 しかし捜査官といえども人間です。偽ディーラーに扮した彼に心を許した犯人を結果的に裏切る現実に彼は動揺します。アメリカ先住民の工芸品を不正に売買し、逮捕された犯人から宛てられたメールのくだりでは私の心も痛みました。(ここはネタバレしないように。読んでのお楽しみです。)強奪犯の後ろには麻薬組織や国際的なギャングがいることがほとんどで、割に合わないリスクを負うしかない人たちも垣間見えます。また、手柄を独占したいがために国を越えてまで互いの足を引っ張り合う捜査官や警察の様子も描かれています。あらゆる欲にかられて美術品を強奪する犯罪者と彼らには、それほど違いはないのではないかという嫌な後味が残りました。

 後書きによるとウィットマンは強奪犯はおしなべてとてつもなく強欲だと語ったそうです。わくわく感などと呑気なことを言っていましたが、最後に見えたのは犯人に限らず自分を含めたあらゆる人間の強欲さでした。強欲さはたんなる金欲しさかもしれないし、虚栄心やメンツやくだらないプライドを増幅するものかもしれません。その破壊力に背筋が寒くなりました。この本は美術品強奪という犯罪を描いていますが、実は人間のありようを残酷に映していると感じます。好奇心から踏み入れた世界につながった大きな闇に吸い込まれるようなそんな思いになる一冊でした。

2012年11月24日土曜日

視線を追いかける 『演劇1』『演劇2』を観て

(English follow after Japanese)

 『カガクするココロ』、『北限の猿』、『サンタクロース会議』、『砂と兵隊』、ロボット版『森の奥』などなど、平田オリザ氏の演劇作品をこれまでいくつも観てきました。先日、その平田氏を追ったドキュメンタリー映画『演劇1』と『演劇2』を観ました。両方合わせて観ると5時間半を超える映画です。

 この映画を撮った想田和弘監督は、作品中にナレーションも音楽も使わないことで有名です。その点については、わたしはあまり意識しなかったのですが、体力と集中力を試される映画だと記憶していました。

 数年前、想田監督が精神病院とその患者を撮った『精神』という映画を観たことがあります。モザイクなしで病院、しかも精神病院を映すというのが話題になりました。わたしは観終わった頃には疲労困憊し、歩き慣れたはずの帰り道で迷子になったことを覚えています。それが個人的に重すぎるテーマだったからか映画のつくりがそういうものだったのかは分かりませんでした。
 そんな大変な思いをしたはずなのに新しい作品を観に行ったのは、平田氏の「秘密」を知りたかったという思いがあります。平田氏は鳩山内閣時の内閣参与として所信表明演説の作成に関わったり、演劇を国語教育に取り入れる活動をしたり、劇作家、演出家という枠を超えた活躍が知られています。そのずば抜けたマネジメント能力や、人を動かす政治的な力に瞠目することが度々ありました。

 彼の行く先々を追いかけた映像を観ていくうちに分かってきたことがあります。彼がやりたい演劇をやり続けるために、やれることは何でもやる、言えることは何でも言うという姿勢です。彼は演劇で教育を変えよう、地域を活性化しよう、メンタルヘルスのあり方を見直そう、と思って活動しているのではなく、演劇を続けるために自らが動き、人を動かしているのです。芸術を生業として生き残る一つのモデルが見えました。

 と、ここまでは平田オリザの「秘密」についてわたしが映画から読み取ったことです。ここからは映画そのものについて書いてみます。この映画は長編ゆえの疲労とは違う消耗感を引き起こします。体力を奪われるのですが不快とも言いがたく、むしろのめり込んでみたいような気もするのです。

 監督自身は自分の作品を「観察映画」と表現しています。今回の作品でも監督がひたすら対象を見て、見て、見て、そして撮って、撮って、撮ったものを、観るわたしがどこまでついていけるか、対決しているかのような思いがしました。映像はスピード感があるというわけではなくどちらかといえば、じっと見る、飽きるほど見る、しつこく見る、といった印象です。例えば、平田氏が秒単位で役者の台詞を調節する稽古場のシーン。稽古というよりもはや修行?と思うほど何度も何度も同じ台詞を繰り返させる光景ですが、なぜかこの場面が心に残っています。監督が見ていたものを、今わたしもここで観ている、と強く意識したシーンです。そのあたりに視線の「対決感」があったように思います。映画を観ているのではなく、映画と一緒に走っているような体験でした。

 そしてはじめに戻ります。体力と集中力は想田監督の視線の速度についていくために必要だったのです。これは帰り道で迷子になっても無理はない、と思いました。

 身体に響くこの不思議な映像体験を反芻してみると、これからも想田監督が何を撮るのかを気にし続けていきたいという気持ちが湧いてきました。わたしは身体を鍛えてそれに臨む所存です。
 

Following what he saw the object: "Engeki1" and "Engeki2"
"The Scientifically Minded", "Northernmost Monkeys", "In the Heart of a Forest", "Sand and Solders", ... I have been to see lots of plays written by Oriza Hirata. Last week, I watched documentary films, which were called "Engeki (Drama) 1" and "Engeki 2". They are about Hirata and his works. When you see both films, it takes more than five and  half hours.
Kazuhiro Soda, the director is famous for technique using no narration and no music in the works. For me, it does not a significant feature. His films required me  physical stamina and concentration. This is particularly noteworthy.
Few years ago, I have watched one of his films called "Mental". It gave people  lots of talk as he shot a mental hospital and patients there. I was so incredibly exhausted after watching it. I even got lost in the way back home. I could not tell it was because the theme was too touchy, or the film itself caused this fatigue.
Even I had that hard experience, I dared to go to see this film. It was partly because I wanted to decipher the "secret" of Oriza Hirata. For example, he was appointed as a special advisor of the Cabinet, and introducing drama to education, he worked beyond only playwright and director. I have been so amazed to see his vitality. Watching the film, I have gradually understood what is the driving power for him. The primal aim for him is he continued to write and direct his own drama. So he does anything he could do, says anything he could do for this aim. It made sense. He is not interested in changing education, revitalise communities, or improving mental health (There was a scene he talked as a lecturer for mental health conference in the film.). I  found out this is one model to survive as an artist in this society.
This is what I have read about Hirata from the film. Now I'm talking about the film itself. This film somehow brings exhaustion. It doesn't seem to be because of the length. But I didn't take it unpleasant. I rather wanted to be absorbed it this film.
Kazuhiro Soda calls his film as "observation film". In "Engeki 1" and "Engeki 2". It was like watching and shooting the subject lasting forever. I felt like being challenged by his work. I can describe his shooting style is watching without a brink, watching until he bored or watching persistently. There is one scene that impressed me the most. It was in a practice room. Oriza Hirata adjusts actors lines minimal level such as taking interval one second earlier or two second later. It was repeated again and again until we almost fell asleep. But I vividly felt that I was following what Soda has been watching when shooting. I did not feel like watching a film. It was as I was running while watching this film.
Back to the beginning. Why did I need physical toughness and concentration? I needed to follow Soda's way of watching subject. There is no wonder I got lost.
Now I felt like deciphering this experience of watching Soda's film. I am more than ever interested in what he is going to shoot next. I will train my physical strength and concentration to face it.

2012年10月22日月曜日

土偶と日常

 昨日のNHK日曜美術館「土偶 命の息吹から生まれたアート」を見ました。土偶好きの私は2009年に東京国立博物館の「国宝 土偶展」をわくわくと心躍らせて見たことを覚えています。番組の方はぼんやりと見ていたので詳細の情報には自信がありませんが、見終わった後に私の頭に浮かんだことを書こうと思います。

 ゲストのグラフィックデザイナーの佐藤卓氏は、土偶の直線と曲線の交差の表現に車のデザインに通じるものがあると説明し、縄文と現代の創造性の繋がりを浮き上がらせました。また、縄文人は万物に精霊を感じ土偶にそれを具現化しようとしたために、遮光器土偶のような、人間とも人間でないともいえる不思議な顔を作ったのではないか、と新説を語る考古学者の洞察にも、想像力をかき立てられました。

 番組の中でも取り上げられていましたが、技巧が凝らされた文様や、女性と男性の特徴が組み合わさったような土偶などは、現代の私たちにとって、解きたくてたまらない謎であり神秘です。でも、本当にそれはいつも謎で、神秘なのか?という疑問も私の中に浮かびました。もしかしたら、とてつもなく土偶づくりのセンスがいい人がいて、「ちょっとおもしろいの、作ってやろうぜ!」とやってみたらできちゃいました、というのも実はあるのではないか?と。自然への畏怖、豊穣への祈り、鎮魂など様々な意味が土偶に込められていたことは想像できますが、何となく作りたくなって、思わず作った、という土偶も実はあるような気がします。

 そうすると、縄文人は、現代人の私たちと何も繋がりのない、未知の宇宙人のような存在といえるのだろか、と思えてきます。私の日常は、縄文人が過ごした日常が連なって、歴史が続いた後に現れたものであるはず。だとしたら縄文人の土偶は、まったく知らない誰かが残した謎とは言いきれないと思えてきました。文字が残されていないから分からないだけで、今の私が感じる恐怖や、心が満たされる思い、驚きなど、縄文人も同じように感じたのではないか、と想像できます。何万年、何千年前の人たちの暮らしは原始的で、情報も知恵も今より断然劣っていたかもしれませんが、私たちもその歴史の流れの先に生きていると感じます。

 そんなことを考えていて、最近読んだ舞城王太郎の小説『美味しいシャワーヘッド』の、このような一節を思い出しました。「思い出も思いも空想も行われなかった秘密も、全部言葉で語られるが、言葉にできない物事もある。言葉では掬いきれない小さな、細やかないろいろだ。でもそれらは記憶に残っていないんじゃなくて言葉にできないだけで、全部僕の中にあるはずだ」

 文字を残さなかった縄文人も言葉で語る私たちも、空想や秘密、小さな、細やかなもろもろを全部自分の記憶に残しているのだと思います。遠い過去を振り返ると、遥か向こうにいる縄文時代の誰かと、目が合うような思いになりました。
 昨日は土偶ひとつで妄想が、次々と泡のようにはじけました。楽しかった!


2012年9月30日日曜日

芸術と科学、その先にみえるもの

 芸術と科学の関係を思わぬところで目にしました。JT生命誌研究館が発行している、生命誌ジャーナルというウェブ季刊誌の2006秋号です。少し前の記事ですが、色あせない内容だったので取り上げたいと思います。
 
 JT生命誌研究館の館長である中村桂子さんと、名誉顧問の岡田節人さんの対話です。中村さんのお名前は色々な媒体で拝見していましたが、生命誌研究館とその具体的な活動については初めて知りました。
 中村さん、岡田さんともに生物学の専門家、対話のタイトルは「知と美の融合を求めて」です。
 
 その中で岡田さんの「学問でも芸術でも同じです。」という発言が目を引きました。これは中村さんの「『わかる』という言葉は曲者です。それと最近の曲者は『役に立つ』。すべてはこの二つで片づけられます。危険な言葉ですね。」という発言を受けたものです。はっ、と思いました。これはまさに、私が芸術にもやもやしていたことに似ている!「わかる」と「役に立つ」で解決しないものはなかなか価値を説明できないし、人を動かせない、というのは芸術の世界にも当てはまると感じてきました。

 分からないことに意味がある、という中村さんの言葉に続いて「近頃は、ますます暗黙値以上の神秘の世界に生きたいと願っとる男ですから、わかっとるわかっとらんかと言うような話を聞くと、まあ、なんとも低級な言い方をすると呆れます。」という岡田さんの言葉は、清々しすぎて笑いがこみ上げてきました。しかし、中村さんによると、分かること、それを役に立たせることが学問の主流になっているということです。

 少し長いですが、中村さんの言葉を引用します。「一つをわかると、そこからわからないことが生まれてくる。そういう広い世界が見えてくるのが専門家だと思うのです。わかった一つから、さらに見えないことをどう見通すかというところが、専門家の腕の見せどころではありませんか。専門でない人は、言われたところだけ見てしまうから、広く見えている専門家が語るべきところは、むしろわからないところだと思っています。ところが社会はわかったことだけを求めるようになってしまった。」

 芸術も同じように、今目の前に見える先の世界を押し広げることで、価値や面白さを引き出し、人の心を動かすような衝動を立ち上げます。まさに、わかる、わからないの境界に切れ目を入れ、役に立つことだけを価値判断にしないことです。
 
 もう一つの問題としてアンケートを取り上げています。中村さんはこの施設の活動計画にアンケートを導入することを信用していないそうです。予算をつけるためにアンケートで集計し、時代が要求しているからこの活動をしましょうというのでは、新しいことはできない、と中村さんは指摘します。アンケートから導きだそうとしていることは「わからないことに価値と可能性がある」という考えから最も離れているということだといえるのでしょう。

 芸術に関していえば、派手で受けがよく、人が集まるものには力が入れられて、堅実だけど地味なものが蔑ろにされる場面を見るにつけ、私はいつも「なんでも面白きゃいいのか!」と毒づいています。しかしお二人はもっと洗練された言葉で、「学問や芸術が娯楽化してしまったことが問題である」と語っています。

 この対話は中村さんの次のような発言にまとめられると思います。「生きていること、生き物、自然・・・。そういうものを題材に言語化した作品を作っていき、それが品のある娯楽になる。」ここで言われている言語化とは、芸術においていえば、視覚、聴覚などによって成り立つ芸術表現であるといえます。

 専門、というと、それぞれ独立した狭い世界を想像しがちですが、お二人の対話からは、専門の世界を突き詰めると、どこかで水脈がつながっているという気がしてきます。そうならば、どんな学問の分野にも芸術を理解する考え方が隠されているし、その逆もありえます。ずいぶん長い間、勝手にもやもやして煮詰まっていましたが、新しい道がみえてきました。

生命誌ジャーナル2006年秋号[知と美の融合を求めて]


2012年9月23日日曜日

建築に耳をすます

 耳についてのデザイン、と聞いてなにを想像しますか?音楽ホールや劇場の音響?あるいは視覚障害者のための音のガイダンス?今日取り上げるのは、TEDで建築と音について語ったJulian Treasureです。

 「私たちは気が狂いそうになるような環境をデザインしている」。Treasure氏はざわついたレストランや、チープなスピーカーで流れる飛行機のアナウンスを例にあげました。私自身が聴覚過敏気味なところがあり、人の声や生活音がとても気になることが多いので、どのような話になるか期待大でした。

 うるさいレストランはさすがに気に障ります。と言いつつ、飛行機のアナウンスは、しかたがないのかな、とあまり疑問には思っていませんでした。彼によると、このようなひどい音環境は、私たちの健康、社会的なふるまい、効率に影響するそうです。健康や効率はなんとなく想像がつきました。プラス、社会的ふるまいというは興味がわきます。

 悪影響の例として、彼は病院と教育をピックアップしました。病院については、医療機器の音が患者の睡眠を妨げたり、医療従事者の正確な判断を邪魔するなど、言わずもがな、ですが教育についてはもう少し詳しく聞きたいと思いました。

 彼は教育を、花の水やりという面白いメタファーで表しました。花に届く前に蒸発してしまう水があるように、ノイズであふれている音環境では、授業の内容が届かないままになってしまう子どもたちがいます。彼はそのような子どもたちを三つのグループに分けて説明しました。

 まず、風邪で鼻や耳が詰まっていたり、花粉症を持っている子ども。このような子どもは、耳が不自由な子どもと同じぐらい聞くことを難しく感じています。そのグループが全体の約八分の一程度いるそうです。二つ目のグループは、英語が母国語でない子ども、そして三つ目のグループは内向的な子ども、だそうです。内向的な子どもたちはうるさい環境で集団行動をするのが苦手なのだそうです。私はここに注目しました。なぜなら私がまさに三つ目のグループの人だからです!予期できない情報が耳にばらばら入ってくると、話がどこに進むのか分からなってイライラしたり、不安になったりするのです。このようなグループの子どもたちは、劣悪な音環境のせいで充分な教育が受けられない事態に陥ることになります。

 生徒だけでなく、先生にも影響があります。ドイツの研究によると学校の教室の平均的な騒音レベルは65デシベルで、これぐらいのうるささにいると、先生は声を張り上げるだけでなく、心拍数まで上げているそうです。先生たちは心臓発作の危険を冒して授業しているのです!

 音環境を積極的によくする、という考え方はとても新鮮でした。視覚や触覚、味覚に比べて、聴覚は逃げがたく、時には暴力的であると感じます。このあたりがますます音に過敏になってしまう理由と言えるかもしれません。安全な音環境に居たい、という欲求です。先ほど上げられた、内向的な子どもが授業に対応しきれなくなってしまう状況がよく分かります。
 
 音環境をデザインするためには、静かな環境を作るより、もっと複雑な視点が必要になります。彼も"Sound Education"というカンファレンスで音響学者、政府関係者、教師などと、「耳と教育」について議論を交わしたそうです。

 彼はこのスピーチを締めくくるにあたって、建築家の友人の言葉「目に見えない建築」という言葉を取り上げました。見た目だけでなく、生活の質や健康、社会的ふるまい、効率を高めるために音に重視した建築という意味です。建築家が競い合って、斬新で、人を驚かすような建築を作り出す場面を目の当たりにすることも大好きです。それに加えて「目に見えない建築」に私はデザインに対する希望を感じました。


2012年8月24日金曜日

津金一日学校:追記

 Facebookに津金一日学校のページがあります。

 そこに、子どもたちが家に帰ってからどじょうすくいの格好をしている「戌井先生リスペクトシリーズ」という写真が!なんだ、やってみたかったんじゃん・・・。まあみんなと一緒じゃ恥ずかしかったかもね。

 そうそう、戌井先生が「手ぬぐいは顎のところじゃなくて、ちょっと横にして結ぶのがかっこいいの。」と言っていたとおりに手ぬぐいを巻いている子の写真があったのも、微笑ましかったです。

2012年8月20日月曜日

「津金一日学校」夏休みの登校日s

(English follows after Japanese)

 津金一日学校に参加してきました。明治8年に建てられた校舎を一年に一度開校し、様々な分野の3人のクリエイターを招いて、子どもたちに授業をするという企画です。山梨県内の小学生が対象になっています。大人は授業参観という形で参加しました。
学校の外観はこんな感じ

教室は二階にあります

 今年は二回目だそうで、今回の先生は、一時間目「笑いの時間」で作家の戌井昭人氏、二時間目は「食の時間」で料理家の三原寛子氏、そして三時間目は「音の時間」で音楽家の森本アリ氏、というメンバーでした。授業が終わると、大人たちは放課後フォーラムに参加します。

 子供の参加者は小学校一年生から六年生まで、30人ぐらい居たでしょうか。ランドセルで登校すると、昔の木の机と椅子が用意されています。久しぶりに小学生の集団を見たので、その弾けるパワーというか圧力というか、尋常ならぬ事態に一瞬怯みました。誰も聞いていないのに「あのねー!あのねー!僕がねー!」と喋り続けている男の子などを見ると「こういう子、居たなあ・・・。」と苦笑しました。

 食べる事、音を出す事、は原初の記憶に訴えかけるのか、子供たちの食いつきは随分良かったです。食の時間はうどんをこねて、オリジナルのたれを作って、手で食べよう、という豪快な授業で、大人も給食で頂戴しました(もちろん子供たちがこねたものでないものですけどね)。音の時間では、森本氏が持ってきた楽器や音の鳴るものに、子供たちは吸い付けられるようにうわーっと駆け寄っていました。ぷーぷー吹いて音が出るものは、いつまでも飽きずに鳴らし続けます。何で子供たちは音にあんなにエキサイトするのだろう、と驚いたのですが、多分私もそうだったんだろうと思います。

うどんを延ばしているところ

大人用の給食

 そして衝撃的だったのは、笑いの時間の戌井氏。どじょうすくいの格好で踊りながら出てきて、子供たちはわーっと盛り上がります。しかし、「馬鹿と天才はどっちが上でどっちが下じゃなくて、右左なの。」という言葉にちょっと戸惑いの様子。そしてみんなで手ぬぐいを顔に巻いて、「踊ってみよう!」という戌井氏にきょとん、というか困惑している子供たちの後ろ姿を見ている私の方がはらはらしました。これをどうやって収束させるのか・・・といやな汗をかきながら見ていると「やっぱ踊るのは恥ずかしいよね!」と言って最後は「じゃあ、踊って帰るか!」とまたどじょうすくいの格好で踊りながら去って行きました。ええーっ!これ、何よ!とまた汗が出てきました
床の穴から一階が見えるんだって

 そもそもなぜこの三人なのか、というのが参加する前から不思議に思っていたことなのですが、最後のフォーラムでそれが見えてきました。三人とも書く、料理をする、音楽を奏でる、という創造的な仕事をされていますが、フォーラムではそこに至ったプロセスやそれをやり続けることをどう考えているか、に焦点が当てられていました。

 会場から「姪や甥ぐらいの親戚が、三人のような生き方をしたいと言ったら、どういうアドバイスをしますか。」という質問があり、それに対して三人とも特に勧めもしないが、止めもしない、というようなことを言っていたのが印象的でした。しかし森本氏が、高校生ぐらいになったらそういうのが向いている子と、そうでない子が分かってくるので、それは言うかもしれない、と言っていたのも、さらに印象に残っています。

 なるほど、これはメインストリームの生き方もあるし、オルタナティブに生きることも出来る、それをミックスさせてもいい、ということを子供たちに知ってもらうという人選なのだろう、と私は考えました。子どものための授業でありながら、大人が生き方、というと大げさですが、自分のあり方をよく見てみる機会を与えられた気がします。そこで、もう一度戌井氏のスリリングな授業を思い出しました。手ぬぐい被って汗だくになってたおじさんがいたな、という記憶が子どもたちのどこかにあって、それをじわっと思い出したりするが面白いのかも。
 
 最後は余談ですが、戌井氏の小説、『ひっ』にサインしてもらっちゃいました。わーい!これは、もし私に中学一年ぐらいの女の子がいたら、ちょっと薦めたくない小説なのですが、他人の子どもにだったら無責任に「マジ面白いよ。」と言います。多分、何も言わなくても大人が嫌がりそうなものを探り出して、勝手に読んだりやったりできる子はいいのでしょうが、私は大人の言う事を真面目に聞くつまらない子だったので、もしそういう人がいたらよかったな、と当時の事を思い出しました。

 津金一日学校も、親でもない、学校の先生でもない、面白い世界を広げてくれる、日常から少し外してくれる大人がいることを知れるのが肝なのかも。授業参観した大人の目線からはそう見えました。

I have bee to "Tsugane one day school" which is one day summer school for elementary kids. The school building was built in 1875, and it has been long closed. Now, it was renovated and once in a year, they open it for this school. The three special teachers come from several creative fields. The adult also could attend to observe the programme.
The teachers are Mr. Akito Inui, a writer who is for "the lesson of laugh", Ms Hiroko Mihara, a chef for "lesson of eating" and Mr. Ali Morimoto, a musician for "lesson of sound". For the adult, there was a forum after classes for kids.
About thirty kids were from the first to sixth grade. When they came to the classroom, the staffs took them to desks and chairs which were used a long time ago in the school. I haven't seen a bunch of that many kids for a long time, so at first, it was too far overwhelming. It was so funny to see a boy who was shouting " Hey, hey, listen to me!" even nobody listened to him. It reminded me that there were boys like him when I was a young child.
As for Eating and making a sound, it might have recalled kids of primitive memories, so many of them were extremely excited and concentrated on it. In the lesson of eating, they made udon noodles by themselves and tried to it by hands. The adults also ate this noodle in the lunch time. (It was not the noodle which the kids mixed by their hands...) In the lesson of sound, kids were attracted to the musical instruments especially that made a big noise. They never seemed to be bored. I wondered why they were so much excited. I thought it again, I must have been a kid like them.
The lesson that had the biggest impact was which by Inui Akito. He appeared in front of the kids dancing with humorous gestures along with funny old Japanese folk song. He wrapped around his face with tenugui, a Japanese towel. The kids burst into laughter. Then he started to tell them "Being stupid and being genius is the same! They are in horizontal aspect! Let's be stupid!", the kids seemed to be little bit mixed up. He continued, "Lets dance as I did!". The kids looked confused more than ever. I started worry if he could bring it together. Finally, he said "Ok, I know it looks too eccentric to do... I'm gonna dance again!" and started dance. I was almost faint away with shock.
After the lessons, I attended the forum. When I had seen the brochure of this programme first, I wondered how they selected three creators as teachers. In the forum, I gradually understood their intention. The moderator focused on the process how they had stared what they are doing now. And he focused on what they are thinking about continuing creating things.
A participant asked those three creators how they gave advice if they had nephews or nieces and they wanted to live like them. All of three gave us the same answer. They said they either don't encourage or stop them. Mr. Morimoto added that when he could see the sign in those who match this way of life or not in their teens, he might advice then. It was impressive.
Now I assumed they chose those creators to let kids know the way of living is diverse. You could be in mainstream or chose other ways. Or you could be in between. It was also the lesson for adults even the programme was for kids. I considered the "lesson of laugh" again. It seemed so chaotic, but kids might keep this in their minds and pick the funny memory afterwards, is the most effective for kids' sensitivity.
Postscripts. I got the autograph of Mr. Inui on his newest novel! Yay! This novel is a bit too filthy for kids, so if I had a daughter in early teen, I would never recommend it to her. But for other kids, I definitely say "It‘s really something." and give it without responsibility. This recalled me when I was a teenager. I was an obedient and boring girl, and never did anything adult didn't want kids do. So, if I have got any adult who introduced things like this novel, my days must have been more fun.
I thought the teachers of Thugane one day school also had this role to take kids to vast outer world, that their parents or school teachers never tell. I'm already too grown now, though I enjoyed the school as kids did.

2012年8月11日土曜日

美術館でげっそり・・・

 久しぶりにTEDからの話題です。『絵画の中の物語をみつける』というタイトルで、作家のTracy Chevalierが絵画の見方を語りました。

 彼女は、美術館に入ると15分か20分ぐらいで絵のことが考えられなくなり「コーヒー飲みたい・・・」と思ってしまうそうです。そして「皆さんもそういう経験ありますよね、それでなんとなく罪悪感を感じますよね。」と続けると、会場にも苦笑が洩れました。彼女が使っていたgallery fatigue (美術館疲れ)という言葉については、博物館学の教科書にも似たような、museum fatigue(博物館疲れ)という単語が載っていたこともあり、私もああやっぱり、と苦笑しました。

 美術館はなぜ、こうも人を疲れさせるのでしょう。

 「だけど、」彼女は疑問を呈します。「レストランに行った時、全てのメニューを頼むでしょうか。そんなことはありません。デパートにシャツを買いに行った時、全て試着して、全てのシャツが欲しいと思うでしょうか。もちろんそんなことはないでしょう。私たちは選択をするのです。」

 ここでタイトルにもあるように、彼女は絵画から物語を引き出すという見方を提案します。例えに出したのはフェルメールの有名な作品、『真珠の耳飾りの少女』、そしてシャルダンとテューダー時代の作者不明の作品の3つです。

 これらの読みは大変想像力をかき立てられるものだったのですが、私が最も関心を持ったのは、美術館では最初から順番に見ない、まずはざっと一周見回すようにして、そこで気になった絵をじっくり鑑賞する、自分が自分自身のキュレーターになる、という彼女の美術館鑑賞の方法です。私も展示室の始めからではなく、つまみ食いのように観たり、展示室を行ったり来たりするが好きなので、彼女の見方に共感しました。
 
 そこで思ったのは、美術館疲れは、美術の知識がないから気後れする、というよりは、慣れない場所でどのように動いてよいか分からない不安からくるのではないか、ということです。この不安を解消することは、私たちの美術館疲れを解消するヒントになりそうです。美術館以外にどのような「疲れ」があるだろうと考えてみました。個人的にはお参りの作法をよく知らないお寺とか神社でしょうか?初めてお茶会に行った時もそうです。もっと身近なところでは、新しく学校に入学するときも同じような疲れがあるかもしれません。と考えると、美術館疲れも特殊なことではないように見えます。ならば、美術館疲れで足が遠のいている人たちにも、美術館で自分にしっくりくる振る舞いを見つけ、罪悪感を持たずに一歩を踏み出して欲しいと思うのです。


2012年7月17日火曜日

アートもメッタ斬る!

 今日は第147回芥川賞と直木賞の発表があります。なぜこのブログで取り上げるかといいますと、新潮6月号で読んでとてもココロを掴まれた戌井昭人の「ひっ」が芥川賞の候補に挙がったのがひとつ。もうひとつは、賞について大森望と豊崎由美が対談した「文学賞メッタ斬り」が、アートを鑑賞することに重なるように思ったというのがあります。

 「メッタ斬り」は、書評家の二人が候補作品を批判したり評価したり、選考委員のセンスを問う対談で、これまで書籍にもなっています。一般の人にはよく分からないもやもやした文壇ワールドを垣間見られるのがポイントです。今回はラジオ日本での事前予想番組を聞いたので、その胸がすく語り口、時折爆笑する程の毒舌がたまらなく面白かったです。1時間強の番組に、候補作が選ばれた理由を探る、選考委員のセンスに斬り込む、受賞作の下馬評、などがテンポよく盛り込まれていていました。

 実はわたくし、候補作品は「ひっ」しか読んでおりません。しかし作品の要約とそれをどう読んだか、その作家がこれまでどのように書いてきて、それが今回どのように変化しているか、選考委員の顔ぶれの評価、二人の意見がまっ二つに割れた時のそれぞれの主張など、鋭い(そしてキツい)対話を聴くと、文芸作品の読み方の能力を上げて違う世界を見てみたいと思わされました。まあちょっと真面目くさく書いてしまいましたが、豊崎氏の「この作品はエッチな場面もいっぱいあるから(選考委員の)××さんには受けそう」とか、大森氏が最近注目した作品に叔父をモチーフにしているものが多いことから「『叔父さん』アンソロジーが出来たら面白い」という発言など、要所要所で爆笑させられました。やはり何より二人の文学への愛(偏愛も含め)が溢れているところが良いのです。

 という訳で冒頭のアート鑑賞に戻ります。アートに興味のない人や、これから知っていきたい人に美術作品や作家について解説したり、なぜだろう?という疑問を持ってもらうことは大切なことです。しかしアートをアートの世界とどまらせないことを良しとする私は、この対談を芸術作品のギャラリーツアーや鑑賞ガイド、または個人での鑑賞に置換えて考えてみました。目利き二人のメッタ斬りには、批判する、評価するという、知的作業のドライブ感があります。これをアートやミュージアムの世界にも持ち込んだら、アートを通じて批判的にものを見る訓練になると思います。アートの専門家や目利きに、作品や作家をメッタ斬ってもらうのを見るのも面白いし、道場破り?のように個人戦で批評するというのも見てみたいです。私がよく話題にする「好き」か「嫌い」かで作品や作家を見てしまう状況からも一歩踏み出せそうな気がします。

 この対談は、ともすると内輪ノリの文芸談義と取られるかもしれませんが、未知の世界をどう知るか、という体験にとても大きな影響を与えると感じました。二人が選考委員や作家について「センス」という言葉を使っていたのも印象に残っています。アート鑑賞で「センス」と言われたら疎外感を感じるという意見も出るでしょう。しかしセンスは磨いて鍛えることで獲得するものだと私は思います。
 
 二人のメッタ斬りの大胆さと言い切りっぷりは、かなりキビシいですし、斬られる方もかなり痛手を負いそうです。でもこれが光るのは何と言ってもそこに「愛」があるからですね。

podcastで聞くことが出来ます。

2012年7月15日日曜日

復興支援:これからの建築と社会


 震災関連の話題が続きます。今日は建築やデザインを扱う雑誌、AXISの8月号から、アトリエ・ワンが震災後の復興を語ったインタビューについて書きます。アトリエ・ワンは塚本由晴と貝島桃代による建築家のユニットで、このブログでもこれまで何回か取り上げていました。
 
 アトリエ・ワンは、建築を、街や振る舞いといった文脈で語っているところがとても興味深かったので、東日本大震災についてどのようなアクションを取っているのか気になっていました。インタビューでは、牡鹿半島で行なったフィールドワークや復興ビジョンが紹介されています。私が注目したのは、今回の震災以降、これから私たちが生活する社会や環境をどう考えるかについて言及していることです。その語り口は大変落ち着いていて現実的で、希望が持てるものでした。

 例えば今回の震災でさかんに言われた想定外という言葉について。塚本氏は、震災に見舞われた場所を元に戻し、新たに作り上げるという視点から一歩進んで、私たちがこれから都市をどのように捉えていくか、から考え直す必要性について以下のように述べています。「都市に住むことはさまざまな想定に囲まれているのだけど、それを全部知っているわけじゃない。福島の原発が東京のためにつくられていることも知らなかった。要するに都市は想定の塊じゃないか、それならば、個々の設計のなかでも想定の問い直しが起こるべきだと思ったんです。」

 さらに、復興に必要なのは行政と科学技術者から一般の人、という上から下へのやり方ではないと語っています。想定の問い直しに必要なこととして、ある想定のもとに成り立つ工学、想定の内容を決定するヒューマニズムや哲学や歴史、工学分野に関わりつつ想定を疑う建築やデザイン、そして当事者である一般人が混じり合うフォーラム的な場を提案しています。興味深かったのは、震災からの復興に関してもちろん工学や建築が復興に不可欠と思っていたものの、そこに人文系の要素がそこに加わっていることです。人文系の分野が出来ることは、震災を通じて洞察を鋭くしたり、価値を問い直すなどにとどまり、実際的な復興には力が及ばないと思っていたからです。

 貝島氏は、フィールドワークを経たものの、まだ建築に落とし込む段階ではないということに関して「(前略)私たちが設計しなくてもいいと思います。けれども、ある種のハーモニーというか、ビジョンが共有できれば、いきなりここに高層マンションが建つことがないだろう、と。」と言っています。このハーモニーに人文系を含めた複数のジャンルが関わることが出来れば、震災から復興するための知恵に深みが出るということだと思います。一日も早く日常を取り戻すことと同時に、これから続く社会のあり方を問い直し、私たちが震災と共に「ある」ことで現実をより的確に見極めることができると言えるでしょう。
 
 最後に塚本氏は、今回の震災も歴史の中で日本人が何回も経験してきたこと、と語り、貝島氏は、日本がこれ程の震災に見舞われることは想像していなかったけど、だからこそ冷静に普段の眼差しが重要、と語っています。この言葉から伺える視点の深度が、私がアトリエ・ワンを信頼し、これからの活動に期待している理由です。


2012年7月12日木曜日

文化の民主化、あるいは新しいビジネスモデル

 ここ数年購読しているpodcastにEtsyがあります。アート、デザイン、クラフトといったテーマで短いインタビューやレポートなどを紹介しているものです。これは、Etsyという、オンライン上で個人がクラフト、アクセサリーやファションといった作品を公開し、販売できるサイトが配信しています。私も以前このサイトからキャンドルを買ったことがあります。podcastでは注目どころのアーティストや若い作家、小さなアートプロジェクとなどバランスのよく取り上げつつ、質にぶれがないところに魅力を感じています。音楽やカメラワークも凝っていて、無料で配信するにはどのような仕組みがあるのか気になっていました。そして最近、思いがけずこのサイトを紹介した記事をNew York Timesで見つけました。
 
 この記事、"Web Site Illuminate Artists"では、オンライン上でアート作品を投稿してもらい、投票で一番人気のあった作品がタイムズ・スクエアの広告板で展示されるというArtists Wantedというサイトを紹介していました。似たようなものではTwitterで見つけたNONSENSE SOCIETYというサイトがあります。これまでディーラーや美術館に縁を持たなかった作家でもデビューできる新しい場として、注目されているそうです。これは非営利のチャリティではなくビジネスとして成り立っています。Artist Wantedには6万人のユーザーがいて、作品を登録するには25ドルを課しています。さらにこの事業に可能性を見出した企業からも投資を受けており、昨年はまだ利益が上がっていなかったにもかかわらず、130万ドルの資金を得たとのこと。

 Etsyに話を戻します。この記事によると、EtsyもArtists WantedもUnion Square Venturesという投資会社から融資を受けているそうです。(この投資会社はクリエイティブ産業やソーシャルメディア系の企業に多く投資しており、Twitterもその一つに上げられていました。)前記のpodcastもこのように資金を調達する仕組みの中で可能になっていると考えられます。才能を吸い上げる新しいスキームが確立することでクリエイティブ産業の裾野が広がり、ビジネスとしても可能性が見出されている流れが見えます。

 記事では、このようなサイトを創設した人たちが、金儲けだけでなく、「文化の民主化」に関心を寄せていることを伝えています。しかし多くの隠れた才能にチャンスが開かれるということは、同時に見る側にもよいものを見極める眼が問われることになると思います。権威主義ではないですが、多数がよいと思うものが常に質が高いとも限らないというのが私の見方です。Etsyを見ても、(私のセンスから見て、ですが)「これを売り物にするのか?!」というレベルのものがあります。プロとアマチュアの境目をどのように定義づけるかという疑問が沸き上がる、とも記事では指摘されています。

 Etsyが設立されたのは7年前、Artist Wantedは4年前と実績は短く、アート業界ではまだ始まったばかりのモデルといえます。が、ある美術館の学芸員は、このような作家はまだ主流にはなっていないものの、注目する必要があると語っています。アーティストにとって作品を公開する機会が増え、希望の持てる仕組みに見えます。しかしリーマンショックやヨーロッパの金融不安などを見る限り、投資の対象になることで抱えるデメリットにも注視する必要があります。いささか及び腰の発言になってしまいました。とはいえまだ始まったばかりの試み、これからこれらの取り組みがどのように変化していくか、注目していきたいと思います。

New York Times "Web Site Illuminate Artists" (2012/6/17)

2012年6月29日金曜日

災いの後に表現する

(English follows after Japanese) 

 東日本大震災と芸術については昨年9月にも書きましたが(「現在を生きて未来を作り上げる」をご参照下さい)、その後も折りに触れて違和感を感じる場面がありました。芸術家が震災に過剰反応しているように見えること、例えば無理やり震災(特に原発事故)を作品に取り込もうとしているように見えること、アートと震災の関係を何とか言葉にしようとしているように見えること、誤解を恐れずに言うならその浮ついた感じが気になっていました。(多分そうではない人たちも多くいると思います。)東北で被災した訳でも、現地を見た訳でもないので、現実を分かっていないと言われるかもしれません。しかし、それがよい、悪いというのはなく、何故このような高揚感が沸き起こっているのかを知りたいと思っていました。
 
 このもやもやが浮き沈みしていたところ、文芸誌の「新潮」のバックナンバーを読んでいて興味深い記事を見つけました。作家の古井由吉氏とお笑い芸人の又吉直樹氏の『災いの後に笑う』という対談です。古井氏の小説を読んだことも、又吉氏のネタも見たことがないのですが、私の疑問や違和感に一つの答えを与えてくれました。
 
 震災の後、人を笑わせてよいのか悪いのか、と考えたことについて2人が語っている部分があります。古井氏は「災害の後はね、どうもこれ古今東西のことらしいんだけど、人の心は躁鬱の振れ幅が大きくなるそうです。空襲で焼け野原になった直後も、人が浮かれていることがありました。で、はしゃいだと思うと、急に沈み込んだりして。」これに対して又吉氏はこのような体験を語ります。「七月に宮城県に行って、現地の人たちの前でやる機会があったんですけど、そのときのお客さんのテンションの高さといったら、すごかったです。(中略)当事者の人たちは活力を何かに見出そうとしているんだけど、現地以外の人たちは、もちろん悪意はなく、現地の人を慮った上で、そういうのはよくないんじゃないかという判断になって、大多数の人の意見が取り入れられて規制されるので、ブームにならないんでしょうね。」。この後も破壊的な状況での人々の振る舞いについて話しているのですが、今後漫才や文芸がどうなるかという話題になり、これから先、世界に対する自分がどうなるか分からないものだが、その世界だってどうなっているか分からないと締められています。

 終戦と震災は状況が違いますが、古井氏が言う躁鬱の触れ幅と又吉氏が体験したテンションの高さ、というのは私にとって理にかなった説明でした。私にはこの状況が芸術や表現の世界にも見えました。震災の衝撃は段階的に受け入れられていくものではなく、行ったり来たりしながら現実感覚が取り戻されると言えるかもしれません。昨年7月のブログでは「創作や表現活動を今まで通りに続けていくことに、大きな意味があるはず」と書きました。それは今も感じています。それに加えて震災とアートの触れ幅がどう変わっていくかを冷静に注目することも、今後何十年経った時に意味のある行いだと思います。

「新潮」2012年1月号『災いの後に笑う』古井由吉+又吉直樹

Representation after disaster
I have written about the natural disaster such as earthquake and tsunami in last March and how art changed after that. ( Refer to "Living the present, creating the future".) Since I had written that, I have often felt awkward that how arts, artist, art expression, or art critics in Japan lose their composure. I found they overreact to earthquake, tsunami or accident of nuclear plants. For example, they seem to apply their theme of artworks with disaster ( nuclear matters, particular.), or they seem to find any words to describe the connection between arts and disaster. I dare to say they look flippant (There should be many artists who are not.). It is not the issue of what is right or wrong. I was just curious why they seemed to be in spree.
While I have been wondering what makes it happen, I have found an interesting article in the literature magazine called Shincho. It was a conversation between a novelist, Yoshikichi Furui and a comedian, Naoki Matayoshi. Their words gave me one of the answers. I haven't either read Mr. Furui's novels nor watched Mr. Matayoshi's stage be honest.
They talked that it if possible to make people laugh in the situation of agony, in that disaster. Mr. Furui quoted that in the era right after World War two in Japan. He said he had witnessed people swung like manic-depressive at that time. He mentioned that it could happen not only post war in Japan, but also other countries. Then Mr. Matayoshi talked about his experience on stage in Miyagi where the damage was serious. He said that he unexpectedly saw people being high-spirited to watch comedy. The two continued to talk about how we have been reacted to that disaster. They ended the conversation that we could not tell what literature or a comedy would be like in the future. Adding to this, they mentioned we can not predict ourselves and even how the world around us would change.
The manic-depressive swing Mr. Furui said, and the response of the audience Mr. Matayoshi experienced explain the awkwardness I have felt. Even the situation between post war era and that disaster was not the same, I have found this is similar to the situation in art. The trauma we have gone through in that disaster does not seem to recover step by step. We must swing from state of manic to repressiveness in order to regain our reality. In the blog post in last September I wrote as below: "in terms of art, there should be lots of meaning to continue creating and expressing as same as we have before embracing dilemma. ". I still believe the same. Adding to it, I would say it should be meaningful to pay attention to this swing in art and representation. When later generation look it again, we will find any answer.