2012年8月24日金曜日

津金一日学校:追記

 Facebookに津金一日学校のページがあります。

 そこに、子どもたちが家に帰ってからどじょうすくいの格好をしている「戌井先生リスペクトシリーズ」という写真が!なんだ、やってみたかったんじゃん・・・。まあみんなと一緒じゃ恥ずかしかったかもね。

 そうそう、戌井先生が「手ぬぐいは顎のところじゃなくて、ちょっと横にして結ぶのがかっこいいの。」と言っていたとおりに手ぬぐいを巻いている子の写真があったのも、微笑ましかったです。

2012年8月20日月曜日

「津金一日学校」夏休みの登校日s

(English follows after Japanese)

 津金一日学校に参加してきました。明治8年に建てられた校舎を一年に一度開校し、様々な分野の3人のクリエイターを招いて、子どもたちに授業をするという企画です。山梨県内の小学生が対象になっています。大人は授業参観という形で参加しました。
学校の外観はこんな感じ

教室は二階にあります

 今年は二回目だそうで、今回の先生は、一時間目「笑いの時間」で作家の戌井昭人氏、二時間目は「食の時間」で料理家の三原寛子氏、そして三時間目は「音の時間」で音楽家の森本アリ氏、というメンバーでした。授業が終わると、大人たちは放課後フォーラムに参加します。

 子供の参加者は小学校一年生から六年生まで、30人ぐらい居たでしょうか。ランドセルで登校すると、昔の木の机と椅子が用意されています。久しぶりに小学生の集団を見たので、その弾けるパワーというか圧力というか、尋常ならぬ事態に一瞬怯みました。誰も聞いていないのに「あのねー!あのねー!僕がねー!」と喋り続けている男の子などを見ると「こういう子、居たなあ・・・。」と苦笑しました。

 食べる事、音を出す事、は原初の記憶に訴えかけるのか、子供たちの食いつきは随分良かったです。食の時間はうどんをこねて、オリジナルのたれを作って、手で食べよう、という豪快な授業で、大人も給食で頂戴しました(もちろん子供たちがこねたものでないものですけどね)。音の時間では、森本氏が持ってきた楽器や音の鳴るものに、子供たちは吸い付けられるようにうわーっと駆け寄っていました。ぷーぷー吹いて音が出るものは、いつまでも飽きずに鳴らし続けます。何で子供たちは音にあんなにエキサイトするのだろう、と驚いたのですが、多分私もそうだったんだろうと思います。

うどんを延ばしているところ

大人用の給食

 そして衝撃的だったのは、笑いの時間の戌井氏。どじょうすくいの格好で踊りながら出てきて、子供たちはわーっと盛り上がります。しかし、「馬鹿と天才はどっちが上でどっちが下じゃなくて、右左なの。」という言葉にちょっと戸惑いの様子。そしてみんなで手ぬぐいを顔に巻いて、「踊ってみよう!」という戌井氏にきょとん、というか困惑している子供たちの後ろ姿を見ている私の方がはらはらしました。これをどうやって収束させるのか・・・といやな汗をかきながら見ていると「やっぱ踊るのは恥ずかしいよね!」と言って最後は「じゃあ、踊って帰るか!」とまたどじょうすくいの格好で踊りながら去って行きました。ええーっ!これ、何よ!とまた汗が出てきました
床の穴から一階が見えるんだって

 そもそもなぜこの三人なのか、というのが参加する前から不思議に思っていたことなのですが、最後のフォーラムでそれが見えてきました。三人とも書く、料理をする、音楽を奏でる、という創造的な仕事をされていますが、フォーラムではそこに至ったプロセスやそれをやり続けることをどう考えているか、に焦点が当てられていました。

 会場から「姪や甥ぐらいの親戚が、三人のような生き方をしたいと言ったら、どういうアドバイスをしますか。」という質問があり、それに対して三人とも特に勧めもしないが、止めもしない、というようなことを言っていたのが印象的でした。しかし森本氏が、高校生ぐらいになったらそういうのが向いている子と、そうでない子が分かってくるので、それは言うかもしれない、と言っていたのも、さらに印象に残っています。

 なるほど、これはメインストリームの生き方もあるし、オルタナティブに生きることも出来る、それをミックスさせてもいい、ということを子供たちに知ってもらうという人選なのだろう、と私は考えました。子どものための授業でありながら、大人が生き方、というと大げさですが、自分のあり方をよく見てみる機会を与えられた気がします。そこで、もう一度戌井氏のスリリングな授業を思い出しました。手ぬぐい被って汗だくになってたおじさんがいたな、という記憶が子どもたちのどこかにあって、それをじわっと思い出したりするが面白いのかも。
 
 最後は余談ですが、戌井氏の小説、『ひっ』にサインしてもらっちゃいました。わーい!これは、もし私に中学一年ぐらいの女の子がいたら、ちょっと薦めたくない小説なのですが、他人の子どもにだったら無責任に「マジ面白いよ。」と言います。多分、何も言わなくても大人が嫌がりそうなものを探り出して、勝手に読んだりやったりできる子はいいのでしょうが、私は大人の言う事を真面目に聞くつまらない子だったので、もしそういう人がいたらよかったな、と当時の事を思い出しました。

 津金一日学校も、親でもない、学校の先生でもない、面白い世界を広げてくれる、日常から少し外してくれる大人がいることを知れるのが肝なのかも。授業参観した大人の目線からはそう見えました。

I have bee to "Tsugane one day school" which is one day summer school for elementary kids. The school building was built in 1875, and it has been long closed. Now, it was renovated and once in a year, they open it for this school. The three special teachers come from several creative fields. The adult also could attend to observe the programme.
The teachers are Mr. Akito Inui, a writer who is for "the lesson of laugh", Ms Hiroko Mihara, a chef for "lesson of eating" and Mr. Ali Morimoto, a musician for "lesson of sound". For the adult, there was a forum after classes for kids.
About thirty kids were from the first to sixth grade. When they came to the classroom, the staffs took them to desks and chairs which were used a long time ago in the school. I haven't seen a bunch of that many kids for a long time, so at first, it was too far overwhelming. It was so funny to see a boy who was shouting " Hey, hey, listen to me!" even nobody listened to him. It reminded me that there were boys like him when I was a young child.
As for Eating and making a sound, it might have recalled kids of primitive memories, so many of them were extremely excited and concentrated on it. In the lesson of eating, they made udon noodles by themselves and tried to it by hands. The adults also ate this noodle in the lunch time. (It was not the noodle which the kids mixed by their hands...) In the lesson of sound, kids were attracted to the musical instruments especially that made a big noise. They never seemed to be bored. I wondered why they were so much excited. I thought it again, I must have been a kid like them.
The lesson that had the biggest impact was which by Inui Akito. He appeared in front of the kids dancing with humorous gestures along with funny old Japanese folk song. He wrapped around his face with tenugui, a Japanese towel. The kids burst into laughter. Then he started to tell them "Being stupid and being genius is the same! They are in horizontal aspect! Let's be stupid!", the kids seemed to be little bit mixed up. He continued, "Lets dance as I did!". The kids looked confused more than ever. I started worry if he could bring it together. Finally, he said "Ok, I know it looks too eccentric to do... I'm gonna dance again!" and started dance. I was almost faint away with shock.
After the lessons, I attended the forum. When I had seen the brochure of this programme first, I wondered how they selected three creators as teachers. In the forum, I gradually understood their intention. The moderator focused on the process how they had stared what they are doing now. And he focused on what they are thinking about continuing creating things.
A participant asked those three creators how they gave advice if they had nephews or nieces and they wanted to live like them. All of three gave us the same answer. They said they either don't encourage or stop them. Mr. Morimoto added that when he could see the sign in those who match this way of life or not in their teens, he might advice then. It was impressive.
Now I assumed they chose those creators to let kids know the way of living is diverse. You could be in mainstream or chose other ways. Or you could be in between. It was also the lesson for adults even the programme was for kids. I considered the "lesson of laugh" again. It seemed so chaotic, but kids might keep this in their minds and pick the funny memory afterwards, is the most effective for kids' sensitivity.
Postscripts. I got the autograph of Mr. Inui on his newest novel! Yay! This novel is a bit too filthy for kids, so if I had a daughter in early teen, I would never recommend it to her. But for other kids, I definitely say "It‘s really something." and give it without responsibility. This recalled me when I was a teenager. I was an obedient and boring girl, and never did anything adult didn't want kids do. So, if I have got any adult who introduced things like this novel, my days must have been more fun.
I thought the teachers of Thugane one day school also had this role to take kids to vast outer world, that their parents or school teachers never tell. I'm already too grown now, though I enjoyed the school as kids did.

2012年8月11日土曜日

美術館でげっそり・・・

 久しぶりにTEDからの話題です。『絵画の中の物語をみつける』というタイトルで、作家のTracy Chevalierが絵画の見方を語りました。

 彼女は、美術館に入ると15分か20分ぐらいで絵のことが考えられなくなり「コーヒー飲みたい・・・」と思ってしまうそうです。そして「皆さんもそういう経験ありますよね、それでなんとなく罪悪感を感じますよね。」と続けると、会場にも苦笑が洩れました。彼女が使っていたgallery fatigue (美術館疲れ)という言葉については、博物館学の教科書にも似たような、museum fatigue(博物館疲れ)という単語が載っていたこともあり、私もああやっぱり、と苦笑しました。

 美術館はなぜ、こうも人を疲れさせるのでしょう。

 「だけど、」彼女は疑問を呈します。「レストランに行った時、全てのメニューを頼むでしょうか。そんなことはありません。デパートにシャツを買いに行った時、全て試着して、全てのシャツが欲しいと思うでしょうか。もちろんそんなことはないでしょう。私たちは選択をするのです。」

 ここでタイトルにもあるように、彼女は絵画から物語を引き出すという見方を提案します。例えに出したのはフェルメールの有名な作品、『真珠の耳飾りの少女』、そしてシャルダンとテューダー時代の作者不明の作品の3つです。

 これらの読みは大変想像力をかき立てられるものだったのですが、私が最も関心を持ったのは、美術館では最初から順番に見ない、まずはざっと一周見回すようにして、そこで気になった絵をじっくり鑑賞する、自分が自分自身のキュレーターになる、という彼女の美術館鑑賞の方法です。私も展示室の始めからではなく、つまみ食いのように観たり、展示室を行ったり来たりするが好きなので、彼女の見方に共感しました。
 
 そこで思ったのは、美術館疲れは、美術の知識がないから気後れする、というよりは、慣れない場所でどのように動いてよいか分からない不安からくるのではないか、ということです。この不安を解消することは、私たちの美術館疲れを解消するヒントになりそうです。美術館以外にどのような「疲れ」があるだろうと考えてみました。個人的にはお参りの作法をよく知らないお寺とか神社でしょうか?初めてお茶会に行った時もそうです。もっと身近なところでは、新しく学校に入学するときも同じような疲れがあるかもしれません。と考えると、美術館疲れも特殊なことではないように見えます。ならば、美術館疲れで足が遠のいている人たちにも、美術館で自分にしっくりくる振る舞いを見つけ、罪悪感を持たずに一歩を踏み出して欲しいと思うのです。