2015年10月3日土曜日

私たちのリベラルアーツ

 6月に政府が出した、国立大学の人文科学社会科学系学部の縮小あるいは閉鎖を求めた通知が波紋を呼びました。国立大学は「社会的ニーズに応える分野を担う」のが理由だそうです。人文科学をないがしろにすれば、単に生きることはできてもよりよく生きることはできない、とか、一見役に立たないものから創造的なものが生まれることを忘れるなかれ、など憤りの声がアカデミックの分野や文筆家から噴出するのも散見しました。


 一部のメディアによる誤解だと文科省は釈明していますが、海外からもこの動きを危惧する声が上がっていたので紹介します。The Diplomatというオンラインマガジンに、テキサス大学オースティン校のJohn W. Traphagan教授が寄稿したものです。The Diplomatはアジア太平洋の政治や社会、文化などを取り扱っています。Traphagan教授は、文科省の思惑に対して、日本はリベラルアーツを否定しているのにポップカルチャーを世界に輸出しようとしている、と痛い矛盾を突いています。


   欧米からの批判に弱いのは日本人にありがちで、日本文化の例としてハヤオ・ミヤザキという印籠を出されるのも食傷ぎみですが、彼があげる二つのキーワードは核心を突いていました。


  なぜ社会科学や人文科学が必要なのか、彼は、interpret our world(私たちの世界を解釈する)、work with others(他者と協働する)の二つを実現するためだと書いています。この二つは社会的ニーズというどこかからの要請ではなく、「私たち」が解釈する、「私たちが」協働するといった、個人がどうあるかという視点です。主体は私たちです。


個人と社会的ニーズの関係について考えていたとき、ずいぶん前にラジオで聞いた経営者のインタビュー番組のことを思い出しました。うろ覚えなのですが、アウトドア用品会社の経営者がゲストで、MCが「お客様のニーズに応えるためにどんな工夫をしていますか」と聞いたところ「(外からのニーズというより)社員が登山などで使ってみて必要だと思ったものを開発しています」というニュアンスのことを言っていました。MCは引き下がらずお客様の…と繰り返し、聞かれた方も戸惑っていて、噛み合ってなくない?とつっこみを入れたくなりました。ニーズの設定が入口ではなく、個人一人ひとりが積み上げた知見や分析によって商品を具体化していということは、この会社には無駄足かもしれないことや取りまく環境を理解することに時間をかける文化があるのではないかと感じました。


 ビジネスの話なので社会学、芸術、文学、倫理学といった学問と直接つなげるのは荒っぽいですが、Traphagan教授の「よい働き手とは、創造的思考ができ、人間との関わりの中でコンテキストを理解し、道義にかなう行動をする」という言葉にも通じると思います。


  ちなみに前出のブランドの寝袋、私も持ってます。


 

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