2008年2月23日土曜日

嫌悪感と好奇心

 『Museum Revolutions: How museums change and are changed(博物館革命 いかに博物館は変化し、また変化を余儀なくされてきたか)』という本を読んでいます。2006年にイギリスのレスター大学博物館学部で行われたカンファレンスをまとめたものです。私もこのカンファレンスを聞きに、イギリスまで行ってきました。

 発表の中でも特に面白かった、サウザンプトン大学のMary M. BrooksとClare Rumseyの論文から読み始めました。タイトルは'Who knows the fate of his bone?' (彼の骨の運命は?)、博物館や美術館で展示物として扱われる、人体資料についての研究です。これら「本物の人体」にはミイラや人骨、標本など、様々な形がありますが、ここでは特に人体資料の展示に対する来館者の嫌悪感と好奇心のせめぎ合いに注目しています。そして博物館のプロフェッショナルは、文化的、科学的、芸術的視点からこの問題にどう取り組んでいくべきか、問いを投げかけています。

 ここではとても興味深い調査が紹介されています。私たちは資料としての人体にどのように嫌悪感を持ち、また興味をもつのか、を探ったものです。調査は、豚の心臓、足、皮膚を模したもの(人間の皮膚に似ている)、人の毛髪を編んだもの、ガラスの箱に入った親知らず、そして偽物の歯を前に、学生たちのグループに感想を話してもらうというものでした。多くの学生たちは、豚の一部を模したものに嫌悪感を表し、歯の模型に関してはすべての学生が触りたがらなかったそうです。また、髪の毛に関しては、母親の髪の毛をブラシしたこと、祖母の巻き毛、といった個人的な思い出を呼び起こすものであったものの、手に取るのは躊躇する学生もいました。カンファレンスで発表したBrooks氏は「ちなみに髪の毛は、私が提供したものなんですけどね。」と言って会場の笑いをさらっていました。

 このように生きた肉体から引き離された人体の一部は、触れることを拒みたくなる強い力を放っている一方、ミイラやプラスティネーションの企画展は多くの入場者を引きつけ、結果的に収益を上げるヒット展覧会になるという現実があります。私たちは、人体資料に対してどこか恐いもの見たさのような魅力を感じつつ、感情的、倫理的な禁忌も同時に感じるという非常に興味深い反応を示すことが分かります。この論文によると、先史の人骨は受け入れられるけれど、現代人の人骨は駄目、同じように大人の人骨や乾燥している人体資料なら大丈夫だけど、子供の骨や生っぽい、しっとりした質感の資料に対しては拒否感、という反応も見られるようです。博物館や美術館という文脈の中において、来館者の心理の触れ幅がこんなにも大きくなるというのは驚きでした。

 ところで私は、数年前に抜いた親知らずを取ってあります。手に取って眺めているうちに、これはアクセサリーにしたらいいかも?と思い始めました。周りの人に話したところ、面白かったのは反応がまっぷたつに分かれたことです。「悪趣味だから止めなさい。」とか「気持ち悪い!」と直感的に反対する人と、「ナイスアイデア!」とか「指輪にした人を知ってる。ピアスにしたら良いんじゃない?」と全面的に賛成してくれる人。そのあまりのまっぷたつぶりに驚かされました。今のところ、私の親知らずの運命も未定です。

編集:Simon J. Knell, Suzanne MacLeod, Sheila Watson

出版社:Routledge

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